不惑で上京

★不惑で上京

リストラ解雇された後に、東京で再就職したブラック企業を退社した後に、実家に戻らされた田舎者の独り言。

国立競技場を散策。

http://naash.go.jp/kokuritu/


色々な競技の聖地・国立は、今の建物を壊して、奇怪なデザインになる。
http://www.jpnsport.com/
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20121115/591509/
なんか勿体無い気もするが、時代に合わないんだって。


そりゃまあ東京オリンピックは昭和39年(1964年)開催だからね。
あれから50年近い歳月が流れているんだ。



国立競技場界隈の訪問は多分、人生で3回目。
初めて中に入った。
入れた。


やはり若干の起伏がある。

意外と新宿が近く見えた。
気のせいだよね。



関東学生陸上競技連盟の「記録挑戦競技会」は無料開放。
ぐるっと半周して中に入れるか尋ねたが
トラックの階層は、さすがに記者さんだけだった。



メインスタンドの屋根のある付近だけ入れた。

昨日、J1昇格プレーオフがあったとは思えないほど美しい芝生。
養生中。



コクリコ坂から』では、翌年に控え
ALWAYS 三丁目の夕日’64』では、鈴木則文さんに「ウオー!」と言わせた
東京オリンピックの舞台。
幾度も改修を重ね往時の姿とは異なるようだが
感慨もひとしおですわ。



ブラタモリで、タモリさんも点火した聖火台。

場内で最も高い場所。



第4コーナーの織田幹雄ポールの下を力走する選手たち。

これは男子10000mの何組目かの集団。


こっちは女子5000mの何組目か。

足も手も遅い私には、男女とも、すんごい高速に感じた。



場内アナウンスは頻繁に行われていたが
電光掲示板に競技や選手の情報を出してくれるとよかった。
予算との兼ね合いかな。
パンフレットも売っていなかったから全然、状況が分からなかったが
トラックに向かって自然と「がんばれー」と言ってる自分が居た。


一生懸命は、カッコ悪くないよ。


あと、BGMがやたらと軽快で、ユーロビートもクラシックも何でもありだった。




OBか、陸上ファンか、ベテランも観戦していた。

私のように、明らかに選手の関係者ではなさげな人が結構いた。
お弁当を広げる老若男女もいた。
意外と界隈に住宅も多いので、そこで暮らす方々の憩いスペースなのかもね。
裕福な都心居住者が羨ましいな。



メインスタンドの上端から見えた新宿。

手前は、タモリさんがカニ(スポーツ・クラブ)に例えた東京体育館



ライバルの戦況を確認しているのかな。

嗚呼、青春。



ダンサブル(段差ブル)でバリアフルなトイレ。

建て替えを迫られた理由のひとつだろう。
時代の要請。



西側の人工地盤の上から。

すり鉢状の造形美に惚れる。





私にとって殆ど縁のない陸上競技だが1時間以上も見ていた。
(半分は、スタジアム見物だけど)


更に外苑の外周を回ることにした。