(1)
父は難病認定された病気が進行しすっかり障碍者。
今、何歳だっけな。
老いた時の子なので歳は取るが
ご近所さんのお父さんは、まだまだ元気な人も多い。
諸行無常。
在宅介護は、高齢者の老後の理想というか夢というか何というか
家族の犠牲の上に成り立つのは実感した。
施設介護で、毎日訪問する方が、家族の負担は桁外れに小さくなる。
それを負担と表現することは間違いなのだろうが
現実に、要介護者に生活を振り回されるのは、紛れもない事実。
施設重視だと、貧富の差が、介護の差に直結するのかもしないが
介護サービスを受けようとしても、結構な額の金銭を要求されるので
結局、お金持ちしかまともな老後を送れない。
高齢化のスピードに対して社会制度の再整備が間に合ってないことを
如実に物語っているのは
それを考える人が裕福なので、このまま逃げ切ろうとしているのだろうな。
我が家では、母が父が好きだから(真面目に(笑))まだ何とかなっている。
施設の多くの人は年末年始を施設内で送ったようだが、父は家に戻れた
家族サイドの強い思いで実現した。
介護に起因する殺傷事件も珍しくないので
母が母で良かったとは思えた。
私は、意識があるうちに再就職できてよかった。
↓
もう少し選びたい気持ちはあったが
今の会社を選んだは
意識があるうちにという動機付けも少しはある。
一番は、年齢だけどね。
未知の世界へ飛び込む背中を押してくれたんだよ。
『コクリコ坂から』と『ALWAYS 三丁目の夕日’64』で東京オリンピックの時代を勉強し
父が東京で働いていた青春時代の、社会の盛り上がりを聞いた時は
邦画ファンになって良かったと思ったし
少しだけ親孝行できたのかなと
自画自賛。
実家の青色申告の資料作りで丸々2日間を消費。
博多に行った以外は
東京で仕事しているのと変わりない頭の使い方。
休まらない休みだったが、これも親孝行。
(2)
帰りの便は、機材繰りの関係で20分の遅延で出発。
気流の関係でベルトサインは消えても常にガタガタと揺れた。
満席の機内はずっと子供が無き叫び騒々しかった。
気流が乱れて上手く飛べないの!
機内サービスをスルーされた。
無料なので腹は立たなかったが凹んだ。
「返って来たら頼もう」と思ったら寝ちゃった。
何処を飛んだのか分からないまま千葉県の上空。
房総半島の町は良く分からなかったが
幕張の埋立地、ネズミの国、葛西臨海公園の大観覧車、東京ゲートブリッジなど
明るい所は確認できた。
B滑走路に着陸。
「南風好天時」のようだが随分と複雑な運航・飛行ルートなのね。
http://www.pref.chiba.lg.jp/kuushin/haneda/saikakuchou/index.html
http://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/sumaimachinami/saikakucho/
https://www.franomo.mlit.go.jp/Login.do
独身唯一の親孝行、帰郷は無事?終了。
(3)
年賀状が3通しか来ていなかった。
転送届は出しており、そのうち転送されるとは思うが
思った以上に友達が少なくなったと
感慨深かった。
29日の夜に羽田空港で投函した年賀状は
今日の夕方現在、実家にも届いていなかった。
(実験で実家にも出している)
中3日であり
実家が田舎とはいえ
幾ら何でもこの時期では無理だろうな。
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