不惑で上京

★不惑で上京

リストラ解雇された後に、東京で再就職したブラック企業を退社した後に、実家に戻らされた田舎者の独り言。

【富岡町・浪江町へ】(5)富岡駅の西側周辺。

(11月4日・午前)


新・駅前広場から地図でいうと左上のほうに行ってみる。

旧来の道路と新設道路が交錯する辺りの
「富岡たばこ耕作組合連合会」
地図

2010年版の住宅地図を見ると
地震の前から空き地だったみたい。

よく考えたら東北電力の営業範囲なんだよね。

県道163号・富岡停車場線沿いの災害公営住宅が建設中。
Google地図
地理院地図

(北西向き)

富岡町災害公営住宅(集合住宅)入居募集のご案内
http://www.tomioka-town.jp/living/Files/2017/09/14/sasshi.pdf

思いのほか出来上がっていた。
この道路は津波到達地点の境界線らしい。

この住宅の正面に「釜田」バス停(常磐交通)が立っていたが
当然だが、運休の張り紙が貼ってあった。


区画整理は一皮ほど海側から施行されていた。
・・・この事業の経過がまだ分からない。


浸水範囲概況図(139と140)によると
この小さな川を(も)遡上したらしい。
地図

(北東に流れてる)
この左側の何かの組合の小屋の荒れようが酷くて
ちょっと撮れなかった。
今思えば撮ればよかったのだけれど当時は撮れなかった。

振り返るとホテルが際立つ。

(南東向き)

災害公営住宅の正面あたりに区画整理の道路が延びてた。

この周辺に
「恐らく」被害を逃れた建物で生活があった。

セメント会社と測量会社だった。
地図

5年以上放置されると、こうなるのかという感じ。

でもね
放射能汚染による全町避難の話がなければ
普通に過疎化が進んだ田舎町だし
鉄道も高速道路のインターチェンジもあり
いかようにもやりようのある町とも思った。

住民さえ帰還すればね。
日本が人口減少時代で社会が立ち行かなくなっているように
地域も住民が居ないと、購買力も納税も話にならない。


町立富岡第一中学校のグラウンドは
除染されたらしく表層はキレイにならされていた。
地図

(立入禁止の類は無かった)
校舎も何らか工事が進んでいた。

一般の学校に向かって撮影すると最悪逮捕されるので注意。

高台への富岡公園につながる坂道。
地図

後ほど上ります。