不惑で上京

★不惑で上京

リストラ解雇された後に、東京で再就職したブラック企業を退社した後に、実家に戻らされた田舎者の独り言。

東京の一人暮らしから実家に戻った忘備録(4) 荷造り。

荷造り


よかったらコレも読んでね。
富岡町・浪江町


忘備録といっても首相案件ではないよ。


■荷造り...

荷造り〜♪ご無用〜♪0123ッ!
というCMソングが流行ったのは昭和末期だったかな?

いわゆる「単身者用パック」で
ネット経由で申し込んで
担当者がコールバックしてヒアリングして契約成立となるやつ。

その際に「組立式の什器類はできるだけバラして」と言われたので
嵩張るパイプハンガーだけでなく
もともと組立式の机とテレビ台も夜なべして解体した。
(いや夜は寝た)

実家の自室が2階なので
1人で運び上げることを考えると
組んだままでは重量・寸法的に難しかったこともある。


結果的には
パレット2台で自動見積りされた荷物が
1台で収まったので
引越し費用は随分と抑えられた。

このカラクリとして
注文(別料金)しておいた引越し用段ボールが小さく
また数量も注文していた数より足しなかったので
個人的に段ボールを別途調達して
それが引越し用よりも幾分小さくて収まり
更に心を鬼にして廃棄して数量・体積を抑えた結果という
少しモヤモヤした結果だった。


実家と重複する衣類などは
数度の一時帰宅の時に
東京のおニューを実家に持ち帰って
実家のオンボロを東京に持ち帰って
新旧を入れ替えて東京で着潰して廃棄するなどして
衣装ケース1個分は減らした。

高価だった(けれど着古した)おフランス製のコートや
若かりし頃に着ていたパーティ用のオシャレスーツなど
ここ数年は袖を通していなかったものは
思い切って断捨離した。


■家電の荷造り...

テレビ
19インチとはいえ足があるので箱からはみ出た。
無理やり斜めにフタして「テレビ!」と朱書きした。
プチプチをぐるぐる巻にして
段ボールの底に「低反発枕」を置いてクッション代わりとした。

レコーダー
これもエアクッションを巻いて
予備の枕を箱の下に敷いた。
箱は閉じられたので
上下左右を余ったタオル等で緩衝材とした。

プリンター
給紙トレイは取り外したが
インクタンクは取り外さなかった。
同様に、エアクッションで巻いて
椅子の座布団と印刷用紙を下に敷いて梱包した。


結果的には、どの家電も実家で作動したので
素人の梱包で1000キロ近く移動しても大丈夫だと分かった。
記憶が薄いが
大阪から東京に移動した時は
引越し業者が家電も丁寧に包んでくれたはず。
今は単身パックでは、そんなサービスしてないと電話で言われた。
当時は閑散期だったし作業員も余っていたのだろうね。


四半世紀を1人で過ごして沢山のモノに囲まれたが
(自分の稼ぎで揃えてきた...)
最後は、6帖ワンルームの片隅に収まる段ボール10個になるまで減らした。

若者2人がテキパキと運び出してパレットに積んで行き
搬出はわずか15分ほどだった。
あっけなく終わった。
予め準備しておいたペットボトルを2本進呈し労をねぎらった。
遠慮なく受け取ります!と言ってくれた、いい子たちだった。


ガスの閉栓時間までかなり暇になったので
住みたい町常連の吉祥寺まで最後の町ブラしに行った(笑)