不惑で上京

★不惑で上京

リストラ解雇された後に、東京で再就職したブラック企業を退社した後に、実家に戻らされた田舎者の独り言。

東京の一人暮らしから実家に戻った忘備録(17) 概ね半年経過。口癖は「東京に帰りたい」。

fuwakudejokyo2018-10-01


連載【都落ち】一覧。
  帰郷直後(連載12回
  前々回(連載16回
  前回(ストレス発散メモ

もう10月。除夜の鐘が・・・

よかったらコレも読んでね【富岡町・浪江町

見出し
 ・社会復帰活動
 ・献血
 ・保険金
 ・家が広い
 ・家が暗い
 ・子供がうるさい
 ・無口になる
 ・趣味と運転
 ・家族はリスク
 ・過呼吸
 ・実家や田舎のいい所


▼社会復帰活動

https://www.hellowork.go.jp/
もう5ヶ月半。
この1ヶ月は不思議と応募したい求人がたくさんあった。

2社面接して(応募は数知れず)
1社はNG、もう1社は二次面接の日程調整までしてサイレント。

書類選考でのサイレントお祈りは珍しくないが
一度は顔を合わせたのに。もちろん初。東京でも無かった。

オファー通知は多かったが東京・首都圏ばかり。
登録を間違っていないか何度も設定ページを確認したが特に不備無し。

これだけ東京の求人を見せられると
実家という足枷が無い人は、東京に行っちゃうかもね。
 (面接で新幹線2往復したなあ)
 (この5年間は無駄では無かったと思いたい)
雇用の流動化は、東京一極集中の原因の一端かもしれない。
 (無職が政治を語ってやったゼ)

大阪・関西からも多かったが戻るつもりは無い。
もう色々と青春から初老に掛けて心に傷を負ってるから(笑)
都会は求人活動・転職活動が活発なようで羨ましい。

広島・山口がここまで少ないとは思わなかった。
代わりに(?)かどうか知らないが
岡山・福岡・愛媛・香川の求人が多くなってきた。
どうなってんだ?


面接の日程調整中も2社あるが
先方の都合なのかエージェントなのか動きが緩くて
地方の転職ってこんなもんなのかな?と戸惑っている。

東京はだいたい2週ごとに面接に行ってた。
けど
結果はこういうことなので
私自身が転職市場では特に価値は無いんだろうなあ。

働きたい求人を見つけれられない自己責任はさておき
やりたい仕事を見つけても、通勤時間片道2時間は、無いわぁ...
月給100万円でも体が持たない(笑)
夜明けと共に出勤し夜中に帰宅。
ありえん。

実家から通う=呪縛。

こっちの求人
なんとなく感じは掴めてる気はするが
職安もエージェントも東京のそれと比べると明らかにふじこ。

正社員が上で非正規が下とか思わないけど
(実際に東京ではバイトさんも派遣さんも重要な戦力だった)
お給料はグッと下がるけれど「食いつなぐため」に
パート・バイトにした方がいいのかなー。

ブランク1年半って、もう人生を諦めるレベルだものな。

近所の同世代は名のある所にお勤めだし。
そろそろ働かないと、犯罪者予備軍確定だわ...



献血

https://www.bs.jrc.or.jp/csk/hiroshima/index.html
面接の帰りに、本通の献血ルームに行った。
アーケードの人波に酔いそうだった(笑)

四半世紀も離れていたから当たり前だが
えらい新しくなってた。

有楽町は待合室も献血する部屋もまあまあ賑やかだったが
広島はどこも随分と静かだった。

広島はバスの街。
事業者が多く路線も複雑で乗りこなせない(笑)

広電(路面電車)、アストラムライン新交通システム)など
政令指定都市として交通網は充実しているが
普通鉄道・地下鉄より遅いので
街が狭いにも関わらず移動に時間がかかるのはネック。

近場でいい仕事ないかな...



▼保険金が下りた

http://www.mikuni.org/tojinbo/
「手術の費用」と「診断書の費用」がチャラになった。
モノは試しで請求してみるもんだね。

毎月の保険料の支払いが辛い。
保険料のために貯蓄を取り崩すって馬鹿みたい。



▼家が広い

https://www.huffingtonpost.jp/tablet-hotels-japan/palace-hotels_b_6058930.html
昔は3世代同居していた一戸建てなので当たり前なのだが。
正月と盆には親戚一同が集まってワイワイやってた。
今、私と同世代の皆さんが当たり前にご家庭をお持ちなので
肩身が狭くてやっとられん。

20年以上もワンルームで生活してきた身には
自室からトイレに行くだけでも苦痛。
 (贅沢なんだけどさ)
昭和の家なので毎日が踏台昇降運動。
階段の上り下りだけでも軽くフィットネスクラブ。
 (アスレチックジムか)
掃除機・モップ掛けするのも広くて大変。
 (虫も出るし)

今は暇な身分とはいえ
20平米の壁の内側が自分のすべてだった生活が
いきなり10倍以上になると閉口する。

夏が暑いよりも冬の寒さはキツイ。
高齢者には大敵のヒートショック要素満載。
 (虫が出なくなるのは嬉しい)
また母が「寒くて具合悪い」とグダグダ言う季節になると思うと
 (既に言い始めてる)
こっちも病気になるわ。



▼家が暗い

http://www.stu48.com/feature/1st_single
色んな意味で。
照度や箇所数が足りないのもあるし
無職の中年息子が一日中いるのもあるし
母の病状が改善しないものあるし
息苦しい。



▼子供がうるさい

https://www.env.go.jp/air/noise/noise.html
夏休みも終わりやれやれと思っていたが
相変わらず放課後にはウチの空き地までやって来る。

未就学児ならともかく
小学生が、他人の敷地でギャーギャー騒いで
時々ウチの倉庫にボールぶつけたり、花壇に土足で踏み込んだり。
保護者はウチで遊んでるの知らないだろうな。

東京に居た時からそうだったが
公園ですら奇声が耳についたので
 (公園で遊んでるから騒いでいいのだろうが)
これを毎日毎日、至近距離で聞かされると思うと
保育園・幼稚園の建設反対運動は理解できる。
 ↑
オレも老害だな。

ドイツ人は寛容。
 https://ironna.jp/article/3245
 https://togetter.com/li/1158900
 https://lovely-lovely.net/business/nursery-school-2
 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20171010/p1
オレ日本人だから無理っす。

早く再就職すれば半分は解決するんだけどな
(出勤すれば奇声の騒音は回避できる)
(ウチの敷地に不法侵入することは未解決のまま)
(病んでる母の悪化は緩くなるだろうか)



▼無口になる

「これが田舎の実状」ということもあり
愚痴や不満を回避するため、すっかり無口になった。

一人暮らしはテレビに向かって「そうそう」言うぐらい(笑)

それまでは、がんばって話しかけていたので
病状も小康状態ということで、以前の自分に戻っただけ。

毎日毎日、不健康な親と面と向かってメシを食うのは苦痛。

家族という他人との共同生活なので当たり前なのだが
 ・食べたいタイミングで食事を摂れない
 ・行きたい時にトイレに行けない
 ・入りたい時に風呂に入れない
 ・洗顔・歯磨き・ドライヤー
などなど
今までの当たり前の日常を阻害されるのが
尋常ならないストレスというかフラストレーションというか。



▼趣味と運転

映画を観たい。
東京では30分以内に映画館に行けた。
関西人時代も1時間以内だった。
今は最低1時間半はかかる。
鉄道で行けない。
TOHOシネマズの1回無料サービスが使えなくなる...

広い公園に行きたい。
児童公園では通報されるから。
井の頭公園新宿御苑など小一時間で行けたし
関西人時代も大阪城公園は休日出勤の憩いの場だった。
山と川と田畑と耕作放棄地と空き地なら腐るほどあるけどね。

路線バスはアレだし電車も本数が無いし。

車での移動なら田舎でもグッと時間を短縮できるが
まだクルマが買えない。
ペーパードライバーを脱出したいが
維持費を捻出するため再就職が約束・条件となっている。
 (無料駐車空間があるのが実家の強み)
しかし
ペーパードライバー不可は結構多い。
面接でも確認された。

近場の求人は運転必須で、AT限定不可も珍しくない。
中心部の求人は免許の条件は無いけれど、通勤時間2時間級。

状況は色々と詰んでる。

【実録】ペーパードライバー歴15年のワタシが移住2ヶ月で克服してマイカー持ちになった話【ペーパー教習編】 - イチエの頭の中【八戸Uターン移住編】


▼家族はリスク

極端な言い方だが。
親が老いるのは人生の予定表には無いんだよね。

生きるために仕事は辞めていたけれど
人生を全部を捨てて
東京から実家に戻る価値があったのか自問の日々。

私が気を付けても親が火事でも出そうなら
すべてが灰になる。

最初は木造賃貸から始まって
粗悪な鉄骨造のアパート
そして給料が少しだけ上がったので
高い家賃を払って耐震性・耐火性の高い
鉄筋コンクリート造の賃貸住宅に住んできた。
ので
家を失うことの虚脱感ったらないよ。

時間を失うことについてもね。
東京の友人に
「もう俺たちは人生の折り返しを過ぎてるんだぞ」と
会社を辞めた時に叱咤激励されたの覚えてる。

多くの離職者の皆さんも苦悩を綴っていらっしゃるが
仕事が見つからない日々は
勝負したい地を離れ、何もない地に強制送還され
永遠に続くと錯覚する求職の日々。

家は何年か前に耐震補強したとはいえ
新耐震基準の昭和56年(1981年)以前に建ててるので
次の大きな地震が来たらどうなるか分からない。

頻繁に襲来した台風には耐えたが
近くの河川が氾濫して浸水するかもしれない。

先日の水害のようなことも考えられる。
山沿いに住む=山崩れ・崖崩れ・土石流etc...

一応、非常食などは2階に準備してる。
3日で救助が来るとは思えないが
それ以上の物資は
実家の思想の都合で色々と難しい面があるんだよね。

まだ食事やトイレは一人でできるので
本当に介護離職を強いられた方々と比べれば
ぜんぜんマシなんだけどね。

比較するもんじゃないけど。



過呼吸

余りのイライラに息苦しくなり、稀に過呼吸(多分)になる。
自分で制御できるのでまだ大丈夫だが
病気として過呼吸の症状が出る人は大変だと思った。




▼実家や田舎のいい所


今のところ、無い。 誰か教えて。


都会の便利さ・厳しさを味わうと
田舎の不便さ・ヌルさは苦役でしかない。

私は前世で相当、極悪人だったんだろうなー。


家賃負担は特に苦痛ではなかったので
 ―それなりの高額な支出なので重荷だったが
  それなりの快適な部屋を借りているので当然だった―
逆に今は衣食住遊休を自由に支出できないのが苦痛。
(穀潰しの居候だからね)


自らの意志ではない帰郷を伴う介護離職(←正確には違うけど)は
想像以上に神経を蝕む。

ブログも文字にして現状を確認するのが目的となってる。
ドMだわw





実家暮らしはストレス・イライラや不自由さを感じることも