いま、わたしができること。|3.11企画 - Yahoo! JAPAN
去年の今頃、実家から、東京から引き揚げの命令があったはず。
2011年に前々職を業績不振でリストラされ
職探しで苦労の末、翌2012年に東京に出た(出るしかなかった)ので
3.11で被災された方々のご苦労の何万分の1かはリンクしている。
シリーズ「富岡町・浪江町」で記したように
被災地のほんの一部分だが
実際に自分の目で現状を確かめられ
ホテル関係者のみだが少しだけお話もできた。
東京のNHKが何年経っても毎日のように扱っていたのは
「東京至近での大災害」だからだよね。
広島近郊の豪雨災害はまあまあなスルーだったし。
辞めた東京の会社で一時期、避難した来た子を雇っていた。
採用したら国から補助金が出ていたので
人件費を圧縮したい経営者は露骨だった。
半年に一回ぐらい手隙の社員で集まったのも懐かしい。
もちろんセンシティブな話はナシ。
阪神淡路大震災を体験し仕事でもあったので
個人的に興味あったが
故郷を失った人に対して、そこまで鬼にはなれなかった。
ブラック企業のご多分に漏れず、その子も
他の人たちや私と同様に心身共に疲弊して辞めた。
その後、別の仕事を見つけて東京で必死に生きてた。
私は東京を去り、もう連絡を取らなくなったが
(社員が頻繁に入れ替わるので連絡簿など無かった)
(上層部は社員が社外で連絡を取り合うのを嫌っていた)
事務方の奥さんチームや、現場の奴隷の皆さんも含め
私が大切だった人が今も無事に生きていたらいいなーと思う3.11。
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