午前の「生コメンタリー」に続くイベント。
道路を挟んだ天満屋で開催されると聞いて行ってみた。
上映終了からトークショーまで時間があったので
福山駅まで一旦(といっても5分程度)戻ってランチした。
朝と異なり、駅ビル(さんすて福山)はトイレが使えた。
百貨店の催事場で「羽原信義 ANIME WORKS 2nd」原画展が行われ
トークショーはその付帯イベントだった。
昨日はなんと内田彩さんがゲストだったとか。
(『2199』岬百合亜、『2202』星名百合亜 役)
っていうか監督、故郷のイベントに惜しみない協力で
2日間とも出ずっぱりなんだね。
駅前広場を見たり、バラの街としての花壇を見たりした。
(南口は「ばら公園口」と言うぐらい)
南西側の再開発ビル「キャスパ」は解体されると聞いている。
広島県第2位の都市でも現状は厳しい様子。
15分ぐらい前に行けば大丈夫だろうとナメてかかってたら
200人ぐらい集まってて(笑)びっくりした。
コメンタリー上映でお見かけした親衛隊?の方々や
ヤマトの制服やグッズを着込んだ人々など。
お隣が「フクヤマニメ」の会場のひとつ、同人誌・交流会場で
そちらのコスプレイヤーの方々もいらしていた。
展示の半分は撮影禁止だったので記憶の片隅だが
少年時代の作風や、私の知らない頃の作品は
「超音戦士ボーグマン」や「強殖装甲ガイバー」「名前が出て来ない」
を思い出すようなタッチだった。
(たぶんこの感想は違うと思う)
羽原監督の相方をした住谷綾香さんのお衣裳が
森雪の私服を模したピンクだったのが、ヤマト愛を感じた。
さすがの本職(フリーアナウンサー)ということで
機材トラブルでも滞りなく話を進め、客を飽きさせなかった。
修業時代というか学生時代の自主制作映像など流れたが
ファンの頭の隙間から見えたぐらい黒山だった。
メカデザインを志すも最初は...というのは一般的な流れなのかな。
アニメの仕事は、駆け出しの頃は安い(食えない)とこぼしていた。
動画をして、原画をして、キャラクターデザインをして、
絵コンテを書いて、演出をつけて、と
段階を踏んで技術を上げないと時給・単価も上がらないし
そもそも、全部の仕事を見渡す監督業は務まらないのかもしれない。
そういう面では
演出家志望でもない原画マンを監督にしたり
候補者がいないので美術館の館長を監督にした
Sタジオジブリは、やはり、いい意味でおかしいんだろうね。
最後に、掲示してある宣伝ポスターのプレゼント企画があった。
本採用と検討案の合わせて15~6枚ぐらい貼ってあったかな。
監督対観客のジャンケンポン。
当選確率は消費税より低いので当たるとは思わなかったが(笑)
どちらも1回戦で終了...無類のジャンケンの弱さ発揮。
監督は勝ち抜いた当選者と言葉を交わしつつ1枚1枚にサインを書いていた。
書き終えて、マネージャーさんかスタッフさんかに促されても
身障者のファンと語らったり、親衛隊の人と話し込んだり
だいぶ延長戦をして東京に戻って行かれた。
第1章のポスターを見ると、東京での苦労の日々を思い出す。
監督たちの拠点だった旧ジーベック社は家から行けるスタジオで
(ジブリやポノック、シンエイ動画、サンライズなどもね。結構集まってる)
(ガンダムの銅像のある西武新宿線上井草駅は友人が連れて行ってくれた)
「ここでヤマトを作ってるんだー」と思ったのも、懐かしい痛みだわ。
後日「法人のXEBECは解散した」とwikipediaに書いてあってショックだったなあ。
私が東京を去るように、一時代を築いた会社も、社会の再編に呑まれたのかな。
(...同列に扱うのは失礼だな)
福山城は工事中と書いてあったので周囲を散策して帰路。
南口の大都会ぶり。
広島駅まで新幹線で30分かからない。
ここからが長いんだよね・・・田舎やだ。
本当に久しぶりに楽しい時間だった。 現実が怖い(苦)
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