東京は雨だったんだね。
営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故 - Wikipedia
2000年(平成12年)3月8日午前9時1分頃に帝都高速度交通営団(現東京メトロ)が運営する営団地下鉄日比谷線において発生した列車脱線事故。死者5名、負傷者63名を出した。
(抜粋)
慰霊碑に献花、安全誓う=日比谷線事故20年―東京メトロ | 乗りものニュース
2020.03.08 時事通信
乗客69人が死傷した営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線の列車脱線衝突事故は8日、発生から20年となった。東京メトロの山村明義社長(62)ら経営幹部3人は同日、東京都目黒区の事故現場付近にある慰霊碑を訪れ、献花した。
冷たい雨が降りしきる中、山村社長らは事故の発生時刻に黙とう。「安全輸送の確保に全役職員が一丸となって取り組んでまいりますことを誓います」などと記された「安全の誓い」を黙読した。
山村社長は「事故の重大性を痛感する。亡くなられた方の無念さ、けがをした方の苦しさを思うと胸がいっぱいになる」と神妙な面持ちで語った。同社では事故後に入社した社員が全体の3分の2を超え、教訓の伝承などが課題となっている。
事故は2000年3月8日午前9時1分に発生。恵比寿―中目黒間のカーブで、走行中の列車の8両目が脱線し、対向列車の6両目に衝突。車両が大破し、乗客5人が死亡、64人が負傷した。
運輸省(現国土交通省)の鉄道事故調査検討会は、左右の車輪にかかる荷重の差(輪重差)やレールの形状などが脱線事故の要因と推定した。
【了】
地下鉄日比谷線 脱線事故から20年 遺族などが追悼 東京 | NHKニュース
2020年3月8日 11時50分
東京の地下鉄日比谷線で脱線した列車が対向列車と衝突し、乗客5人が死亡、64人がけがをした事故から8日で20年となり、遺族や地下鉄の関係者などが慰霊碑の前で追悼しました。
平成12年3月8日、当時の営団地下鉄日比谷線の中目黒駅付近で、脱線した列車が対向列車と衝突し、乗客5人が死亡、64人がけがをしました。
事故から20年の8日、遺族や被害者などが東京 目黒区の事故現場近くに建てられた慰霊碑に花を手向けて犠牲者を追悼しました。
(以下略)
中目黒駅は行ったことなかったと思う。
(代官山駅は仕事で何度か行った)
(うわーここが代官山かー意外とフツーの住宅街wと思った)
関西人時代も含め、幸い大きな事故に巻き込まれたことはない。
都市生活者としては幸運だったと思う。
直接の人身事故の列車に乗っていたのは1回 あった。忘れたい。
間接的な被害は数え切れないよね。
特に東京の鉄道は運行本数は多いが
投身自殺という鉄道テロを含めた人身事故で
ダイヤ通りに走れない運行環境なのが残念だった。
今は、クルマの事故が怖いね。
自分が加害者になるのはもちろん
不注意な他者(他車)からの、もらい事故も。
慎重に生活すれば都市部のほうが断然、暮らし易い。
車が突っ込んで来ることはあっても
電車が突っ込んで来ることは無い。
そういう面で鉄道事故は不幸な出来事。
合掌。
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