震度6弱の芸予地震から今日で20年 同様の地震は今後も繰り返し発生か - ウェザーニュース
2021/03/24 10:38 ウェザーニュース
今日3月24日(水)で、平成13年(2001年)芸予地震の発生からちょうど20年となります。広島県を中心に大きな被害となった地震について振り返ります。
平成13年(2001年)芸予地震は3月24日15時27分に発生しました。震源は安芸灘、地震を規模を示すマグニチュードは6.7、震源の深さは51kmで、地震のメカニズムは西南西ー東北東方向に張力軸を持つ正断層型と解析されています。
この地震によって広島県河内町、大崎町、熊野町で最大震度6弱、広島県広島市や呉市、廿日市市、山口県岩国市、柳井市、愛媛県今治市、松山市などの広い範囲で震度5強の強い揺れに見舞われました。消防庁による被害のまとめによると、死者が2人、重傷者が43人、全壊家屋は70棟に及んでいます。芸予地震では広島県を中心に擁壁や斜面の崩壊が見られました。比較的短い周期の揺れが卓越したことや、地盤の特性などからこうした被害が目立ったと考えられています。
今後30年での発生確率は40%程度
芸予地震の震源となった安芸灘~伊予灘~豊後水道では、沈み込んでいるフィリピン海プレート内部の地震が比較的短い周期で発生しています。17世紀以降だけで見ても、マグニチュード7クラスの地震が6回確認されています。1905年にはマグニチュード7.2と推定される芸予地震が起きて、広島県広島市や呉市を中心に大きな被害となりました。この期間を平均すると、大きな地震の発生間隔は約67年となりますが、1854年と1857年に相次いで発生しているように、必ずしも一定の間隔ではありません。
地震調査研究推進本部はこの領域で30年以内に、マグニチュード6.7~7.4の地震が発生する確率を40%程度としています。発生から20年が経って、当時の記憶が忘れられている部分も増えているかと思われます。西日本で大きな被害が懸念されている南海トラフ巨大地震のみならず、こうした局地的な強い地震に対する備えもしっかりと行うことが重要です。
芸予地震20年、備え今も 広島湾周辺に活断層集中 | 中国新聞デジタル
2021/3/24 22:53
広島県を中心に大きな被害をもたらした芸予地震は24日、発生から20年となった。中国地方ではその後も島根県西部などを震源に地震が相次ぐ。広島湾周辺には活断層が集中し、南海トラフ巨大地震も予想される。各県は公共施設の耐震化などの備えを進めているが引き続き警戒が必要だ。
広島県の想定では、被害が最も大きいのは南海トラフ巨大地震。福山市や三原市で最大震度6強、広島市や呉市で同6弱となる恐れがあり、その場合、死者約1万5千人、建物の全半壊は計約27万棟に及ぶとの見方がある。
被害の主因は津波だ。沿岸部では地震から3時間半を過ぎたころから最大波が到達する。津波の高さは最高で江田島市1・9メートル▽呉市1・6メートル▽広島市1・5メートル―と見込まれている。
このほか、安芸灘から伊予灘、豊後水道にかけてのプレート内で地震が起きた場合は死者が最大で約1万1200人、広島湾周辺の広島湾―岩国沖断層帯での地震では死者約3500人など大きな被害が出る恐れがある。
政府の地震調査委員会が1月に公表した今後30年以内の大地震の発生確率は、南海トラフ70~80%▽安芸灘―伊予灘―豊後水道のプレート内地震40%程度▽安芸灘断層帯0・1~10%―など。
地震への備えは一定に進む。広島県によると、公民館や学校体育館など災害時の拠点となる公共施設の耐震化率は88・2%(2018年度末時点)。県が指定する「津波災害警戒区域」に含まれる全17市町が津波ハザードマップの作製を済ませた。中国地方の他県でも公共施設の耐震化が進み、山口県沿岸のコンビナートでは、南海トラフへの対策計画も策定している。
しかし油断は禁物だ。広島県危機管理課の佐藤伸樹課長は「地震は、いつどこで起きるか分からない。避難場所や避難経路を確認し、災害に備えた備蓄などを進めてほしい」と呼び掛ける。(石井雄一)
<クリック>芸予地震 2001年3月24日午後3時27分ごろ、広島県蒲刈町(現呉市)沖の安芸灘を震源に発生。震源の深さ46キロ、地震の規模を示すマグニチュード(M)6・7。広島県河内町(現東広島市)や熊野町などで震度6弱、広島市や呉市、三原市などで同5強を観測した。内閣府によると、中国・四国地方で2人死亡、288人が負傷。住宅全壊70棟、半壊や一部損壊は計約5万棟、停電や断水は、それぞれ4万世帯を超えた。
瀬戸内で津波ってイメージ無いなあ。
広島市からコンビナートのある大竹市・岩国市にかけては、ほぼ人工海岸。
というか垂直の護岸で固められた、港湾・工業用地・瀬戸内工業地域。
せとうちこうぎょうちいき【瀬戸内工業地域】 | せ | 辞典 | 学研キッズネット
東日本大震災で千葉県の石油関連の工場から出火したけど
何とか延焼を食い止めたよね。
自然海岸は、宮島の対岸・大野地区(波かぶり道)ぐらいかな。
南下(西進)すると由宇町の人工海岸があるけど。
地震は断層がご近所さんなので、耐震補強工事は済ませたが
元々の地盤が弱いので恐らく全壊判定は免れないだろう。
土砂に埋まって、ももクロや宇宙戦艦ヤマトのDVDなどお宝が取り出せなくなるのは
諦めるけど、いっそのこと、自分が埋まって死体として掘り出される方がいいなあ。
現世に対してさほど未練は無い。その時は即死でお願いしたい。痛いのはイヤ。
2001年芸予地震
概要
2001年(平成13年)3月24日 15時27分54.5秒(日本標準時)に発生した地震の震源は上蒲刈島の南。マグニチュードは、気象庁マグニチュードでMj 6.7[1][4][40]、モーメントマグニチュード(Mw) 6.8[14]。震源の深さは51km[40]。最大震度は6弱[41]。被害総額約193億円[40]。
(中略)
山陽地方側は事実上地震空白域だったため住民の危機感が薄く[10]、地震直後も普段と変わらない生活をおくったものがかなり存在した[47]。これは被害が大きかった広島県呉市を除き、自治体による避難勧告がほぼ出されなかったためでもある[48]。自治体・企業が、兵庫県南部地震規模の地震を想定し地震対策を行っていたため、被害が小さかった部分もある[10][48]。住民が災害情報を得たメディアは9割近くがテレビ・ラジオだったことに加え[10]、この地震や先の鳥取県西部地震が起きた2000年代初頭は行政側が公式ホームページ上で情報を公開しそれをインターネットを通じて住民が得る状況になった[49]。
へぇ。酷い言われようだな。
西暦2001年・平成13年、21世紀初期の大きな地震。
まだ大阪に居た。
実家は幸い大したことなかったが、自室にガンプラなど色々と飾っていて
落下して壊れたので、子供の頃からのオモチャや雑誌類などを一斉に廃棄したと思う。
(残しておけば「鑑定団」に出せたかもね)
1995年・平成7年の阪神淡路大震災で自分が死にかけたので
(オンボロアパート=木造集合住宅=文化住宅は耐えてくれた)
大概の地震はドキッとする程度かな。
その後、大阪や東京の事務所などで、地震や東日本大震災の余震に遭っても
素早い「Ctrl+S」上書き保存(笑)や、玄関扉の確保など、割と対応できた。
被害の程度はあるけど「経験すること」は大事と思った。
「次」は無いに越したこと無いけれど。
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