不惑で上京

★不惑で上京

リストラ解雇された後に、東京で再就職したブラック企業を退社した後に、実家に戻らされた田舎者の独り言。

JR福知山線脱線事故から17年。「組織罰」まだ制定されないね。

 

尼崎市を不幸な形で有名にした事故

初任給(4/25)を貰えなかった新卒採用の子もいたと記憶する。

遺族ら共に祈り 3年ぶり追悼慰霊式 尼崎JR脱線きょう17年|総合|神戸新聞NEXT

2022/4/25 09:54

事故現場を通過する列車。会場は目隠しの布で覆われる中、車内の車掌が黙礼していた=25日午前7時54分、尼崎市久々知3(撮影・中西幸大)

 乗客106人と運転士が死亡した尼崎JR脱線事故は25日、発生から17年となった。現場に整備された「祈りの杜」(兵庫県尼崎市久々知3)では、新型コロナウイルス感染拡大で中止されていた追悼慰霊式が3年ぶりに営まれた。遺族らが集まって手を合わせた。(堀内達成)

 祈りの杜は2018年、JR西日本が、電車が衝突したマンションや隣接地を買い取り、約7500平方メートルの追悼空間として整備した。マンションは4階部分まで残され、劣化を防ぐためアーチ状の屋根や壁で覆われている。慰霊碑、犠牲者の名碑、事故の概要を刻んだ碑文が並ぶ。

 19年には、式典会場を尼崎市内の別の場所から祈りの杜に移して初めて実施したが、20年以降はコロナ禍のため2年連続で中止となっていた。

 式典に先立ち、事故が起きた午前9時18分が近づくと、快速列車がスピードを落として祈りの杜の前を通過した。

 祈りの杜は周囲がシートで覆われ、一般には非公開とされた。来場できない遺族、負傷者にはオンラインでも配信した。

 JR西では、事故後に入社した社員が全体の約6割に増えており、事故の風化防止、教訓の継承が課題となっている。

 社員教育などを目的に、事故車両の保存施設を大阪府吹田市の社員研修センター内に24年秋ごろ整備する方針で、22年内にも着工する。一方で、遺族からは「車両は現場で保存すべき」「一般公開して」などの声も上がっている。

【尼崎JR脱線事故】2005年4月25日午前9時18分ごろ、尼崎市のJR宝塚線塚口-尼崎間で、宝塚発同志社前行き快速電車(7両編成)が脱線し、線路脇のマンションに激突、乗客106人と運転士が死亡、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った。JR西日本山崎正夫元社長が業務上過失致死傷罪で在宅起訴され、井手正敬(まさたか)元会長ら歴代3社長も同罪で強制起訴されたが、無罪判決が確定した。

感情的な見出しの記事はちょっと・・・。

 

17年でごっそりと入れ替わるものかな。

それだけ上の世代が多かった(うちら中年世代が入れなかった)のかな。

 

これ、毎年やってるような・・・

 

データで見るJR西日本:JR西日本

社員 P.172-175 社員(PDF形式 1,143KB)

「年齢構成」うちら世代は見かけ上は1210人。飛び切りの優秀な人材。

上の世代が恐ろしく少ないのは、早期退職やリストラ解雇されられたのかな。

「社員数の推移」では98年度から急激に減らして、2005年度でやめている。

「採用は」1997年4月入社から(1995年1月に阪神淡路大震災・96年度は減少)と

2006年4月入社から(脱線事故の翌年度)で、慌てたようにグッと増やしている。

そう言われたら、減らし過ぎを補った結果の歪な年齢構成なのは、なるほど。

 

福知山線脱線事故17年 尼崎市で3年ぶり慰霊式 犠牲者追悼|NHK 兵庫県のニュース

04月25日 17時57分

107人が死亡した、JR福知山線脱線事故から25日で17年です。

ことしは新型コロナの影響で去年まで2年続けて中止されていた追悼慰霊式が行われ、遺族たちが犠牲者に祈りをささげました。

17年前の平成17年4月25日、尼崎市でJR福知山線、通称、宝塚線の快速電車がカーブを曲がりきれずに脱線して線路沿いのマンションに衝突し、107人が死亡、562人がけがをしました。

ことしは新型コロナの影響で2年続けて中止されていた追悼慰霊式が尼崎市の現場に設けられた追悼施設、「祈りの杜」で行われ、JR西日本の長谷川一明社長が「皆様お一人おひとりの大切な人生を私たちが一瞬にして奪ってしまい、誠に申し訳ありませんでした。事故の重い反省と教訓を継承し続け、強い使命感を持って安全性向上の取り組みを、一歩一歩着実に進めてまいります」とおわびと追悼のことばを述べました。

現場では、脱線事故が発生した午前9時18分とほぼ同じ時刻に快速電車が速度を落としながら通過し、線路沿いの道路では、関係者や近所の人などが立ち止まって、黙とうをささげていました。

当時40歳だった長女を亡くした藤崎光子さん(82)は事故現場付近を訪れ「私と娘が望んでいるのは、2度と私のような『遺族』という人間をつくってほしくないということです。JR西日本に求めるのは安全、それだけです」と話していました。
また、当時18歳だった、次男の昌毅さんを亡くした上田弘志さん(67)は追悼慰霊式に出席したあと、「年をとって体もしんどくなり、JR西日本に対して17年を返してくれと感じることが多い。年月がたつにつれ、多くの人の気持ちが薄れてしまうのは仕方がないが、自分はしっかりと事故と向き合って『健康で頑張るからね』と息子に伝えたい」と話しました。

コロナ禍の影響などで、JR西日本は、2年連続で巨額の赤字を見込むなど厳しい経営状態が続いていて、「最重要課題」に掲げる安全性の向上を進めながら、どのように経営の効率化を図っていくかが課題となっています。

追悼慰霊式が行われた「祈りの杜」では、午後5時から近くに住む人など一般の人たちによる献花が行われています。

【追悼慰霊式に出席した被害者 “歩みを止めずに安全の取り組みを続けてほしい”】
先頭車両に一緒に乗っていて大けがをした福田裕子さんと木村仁美さんは追悼慰霊式のあと、取材に応じました。

福田さんは「事故の日はきょうのように暑くて、車内から救出されたときに見えた青空が印象に残っています。負傷者である私たちにできることは安全に対する取り組みを近くで見ていくことだと思います。安全については、『何年後まで考えたら終わり』という話ではないので、歩みを止めずにこのまま取り組みを続けてもらいたいです」と話していました。

木村さんは、17年間、脱線事故でけがをした人やその家族に向けてメールマガジンを配信し続けていて、「脱線事故はまだ終わってないのだと、どこかで誰かが受け取ってくれたらいいなと思いながら取り組んでいます。この事故から何か社会が学び、生かしてもらえればと思います」と話していました。

 

【事故の被害者の家族 “式に集まることでもう一度思いを新たに”】

脱線事故でけがをした人たちなどが思いや情報を共有する場として開いてきた「負傷者と家族等の会」のメンバーで、次女が大けがをした川西市の三井ハルコ(66)さんは、伊丹市に設けられた会場で、追悼慰霊式の様子を中継の映像で見たあと、NHKの取材に応じました。

三井さんは、2年続けて中止されていた追悼慰霊式がことし開かれたことについて、「この日だけが特別ではありませんが、もう一度思いを新たにし、みんなで伝え合ったり確認したりするという意味で、みんなで集まることは意味があると思います」と話していました。

そして、「事故に直接的に関わった方にしか分からないことはたくさんあるはずですが、私たちが伝えることによってそれぞれの方々が事故をわがこととして感じていただければという思いが強くなりました」と話していました。

 

【献花に訪れた女性 “事故を繰り返してほしくない”】

事故現場の近くにある職場で働き、同僚たちと、毎年、献花に訪れるという50代の女性は、コロナ禍で2年続けて中止された慰霊式が今年は行われたことについて、「被害にあった方々には『寂しくなくてよかったね』と思いました」と話しました。
また、17年前の事故について、「砂ぼこりが職場の近くまで飛んできたその光景が忘れられません。けさは職場の朝礼で『もう17年も経ったんだな』と話をしました。事故を繰り返してほしくないと思います」と話していました。

 

伊丹市では追悼の風船を飛ばす】

伊丹市では脱線事故でけがをした人などが犠牲者を追悼するメッセージを書いた風船を飛ばして、事故を風化させないと誓いました。

事故で大けがをした伊丹市の増田和代さん(52)は、新型コロナの影響で慰霊式などの中止が相次いだおととしから、事故の記憶を風化させたくないと追悼のメッセージを書いた風船を飛ばす行事を行っています。

ことしも増田さんや友人ら8人がJR伊丹駅近くの河川敷に集まり、「あなたたちのことは忘れません。ありがとう」とか「天国のみなさまへ ずっと見守っていてください」などと書き込まれたおよそ30個の風船を一斉に放ちました。

風船は空高く舞い上がり、増田さんは見えなくなるまで手を振り続けていました。
増田さんは「事故は永遠に忘れません。『ひと事じゃないんだよ』と、みなさんにわかってもらえるよう、事故の記憶を伝え続けていきたい」と話していました。

 

尼崎市では事故の被害者も参列して法要】

尼崎市にある寺では、脱線事故でけがをした人などが参列して、犠牲者を追悼する法要が営まれました。

事故から17年を前に安全な社会を願う写経を全国から募った尼崎市の道心寺では、25日、事故の犠牲者を追悼する法要が初めて営まれました。

参列した人たちは、落語家で住職の露の団姫さんと一緒に念仏を唱え、亡くなった人を悼むとともに交通安全への誓いを新たにしました。

このあと、事故で大けがを負った伊丹市の増田和代さん(52)が講演し、「事故の時、列車が猛スピードで突っ込んで倒れた人が重なったため動けなくなった。救助されると周りには血を流した人や叫んでいる人たちがいて、悲惨な光景だった」と当時の状況を語り、事故を忘れないでほしいと訴えました。

事故で知人がけがをしたという宝塚市の65歳の女性は「いまも苦しんでいる人がいると改めて知り、これから自分に何ができるのか考えたい」と話していました。

露の団姫さんは「参列した人たちは、事故を自分のこととして、考えてくれていたように思います。犠牲者を追悼し、安全な社会になるよう祈り続けたい」と話していました。

 

【一般の人たちによる献花】

慰霊式が行われた追悼の場「祈りの杜」では、25日午後5時から近くに住む人など一般の人たちによる献花が行われました。

会場には、手に花束を持った人たちが次々と訪れ、献花台に花を手向けていました。
20秒ほど手を合わせる人や深く一礼をする人もいて、それぞれが事故で犠牲になった人たちに静かに祈りをささげていました。

一般の人たちによる献花は午後8時まで行われる予定です。

映像なし→追加された。

 

毎年書いてるけど(書いてないかも)地元で生まれ育った友人と

事故から一か月ぐらい経過してからかな、献花に訪問した。

現地でのマスコミのお祭り騒ぎは無くなっており、静かな雨の日だったはず。

お花は、尼崎駅の山側にできた再開発ビルの中にお花屋さんがあって

持参用のものを組んでくれた(セットがあったなか)ような気がする。

 

福知山線脱線事故 遺族が「組織罰」制定訴え尼崎市で署名活動|NHK 兵庫県のニュース

04月25日 17時57分

JR福知山線脱線事故から17年の25日、事故の遺族たちが重大事故を起こした企業の刑事責任を問う「組織罰」の制定を訴え、尼崎市で署名活動を行いました。

JR尼崎駅前で行われた署名活動は、107人が死亡したJR福知山線脱線事故のほか、山梨県中央自動車道の笹子トンネルで起きた事故の遺族などでつくる団体が行いました。

多数の犠牲者が出る重大事故が起きた場合、現在の日本の刑法では、法人などの組織の罪を問うことができず、団体では、事故を起こした組織に高額の罰金などを科すことができる「組織罰」を新設すれば、事故を防止する抑止力となるなどとして、新たな法律の制定を目指しています。

団体の代表を務め、17年前の脱線事故で23歳だった長女を亡くした大森重美さんは「娘の死をむだにしたくないという思いで活動を続けてきました。幹部の責任を明確に問うためには『組織罰』が必要で、それが一番の事故防止になると思う。『組織罰』の創設を実現して、事故のない安全な社会にしたいです」と話していました。

昨年、私もそう思った。

fuwakudejokyo.hatenablog.com

 

 

合掌。

 

 

先日からの、北海道・知床での観光船の遭難事故で

知床観光船遭難 ソナー探索で乗客発見急ぐ 海上も夜を徹し捜索 | NHK | 事故

2022年4月25日 20時04分 

被害者家族への連絡が、いまだ無いというツイートが回ってきたこともあり

「被害者の家族(遺族)が集まる(会を作る)」ことは

加害者や監督官庁に対して、責任を問うために必要なんだと思った。

 

父母が元気な頃は、色々と出かけて、知床半島にも行ってた。

ニュースを見て懐かしいと母がボヤいていた。

その後、父は難病認定されて早くにお別れしたのは予定外だった。

 

今は、旅行することで、病弱な人は殺されるかもしれない疫病が流行っているので

大型連休を前にした大きな事故は、輸送業や観光業は更に厳しくなる。

 

 

脱線事故では、JR西日本は一貫して、プライバシーを盾に「償いの進捗」について

説明・開示を拒み続けているので、被害者側からの発信しかない。

社員を含む107人の死者だけでなく負傷者562人への補償もある。

「何人」「誰」は不要、「何割まで被害の弁償で合意」ぐらいあってもいいと思う。

 

数年前に買収はほぼ済んだという記事を見たような気がしたが

検索しても出て来ない。

逆に、被害者遺族・家族を蔑視するクズな人のページは幾つもあった。

 

赤字路線の廃線に躍起になっているのも、社会情勢をこれ幸いと利用して

賠償に充てるが現金を貯めたいのかな、と勘繰っている。