日航機墜落 事故調査官 100ページの手記に書かれていたこと|NHK事件記者取材note
2021年8月11日事故
520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から36年。
国内最悪の航空機事故を調査し、報告書をまとめた調査官らが手記を残していたことが、去年、NHKの取材でわかりました。
調査官限りの内部文書とされ、これまで決して表に出ることのなかったおよそ100ページにわたる手記。
そこに書かれていたこととは。
(沖縄放送局デスク 山口健)
"史上最大の航空事故"
100ページの手記に書かれていたこと
奇跡の生存者の証言
見つかった決定的な証拠
貴重な証拠をゴミ袋に…
わずか2日で原因に迫っていた
ラジオに盗聴マイク?
コミュニケーションの重要性
誠実な人柄も
なぜ取材に応じてくれたのか
取材後記
当時は、マスコミが事故現場に足を踏み入れるのは日常茶飯事だったかな。
凄惨な状態の遺体の写真も週刊誌に掲載されていた。検索しちゃダメ。
1986年の岡田有希子さんの最期の姿の写真・映像も地上波で平然と放送され、雑誌でも掲載され
私には20年近いトラウマとなったねぇ・・・
1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)、日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)が群馬県多野郡上野村の山中ヘ墜落した航空事故である。
小学生時代の記憶に残る衝撃的な事件のひとつ。
後に、関西人となって、リストラ解雇されて時間のあった時期に
予約をして、見学したのを思い出す。
センターは平日しか開館していないので、忠実な勤労者(社畜)だった当時の私には
平日に有給休暇を取得して見学に行くことは叶わなかった。
JAL以外の、当時TDAだったかJASだったか、ANA以外の他社の人もいたはず。
航空関係の人は、開館時間内なら制約は無かったのかな。
一般人は時間の制約もあって、全部の資料を事細かに読むことはできないが
(撮影も禁止。映像や新聞記事に著作権がある。手記も人権上ね)
当事者ではないものの、ボーイング社に対してそれなりの憤りは持った。
その後、ボーイングの機材で、羽田と岩国空港を、何十往復もすることとなるとは
思わなかったけどねwww
ほんとwwwですわ。
またwwwの生活に戻りたい。
センターを訪問する10年ほど前に(そんな前だったのか)
最後まで姿勢を制御しようと格闘するパイロットたちの音声記録が社会に出て
ボイスレコーダー音声の流出と遺族の生データ開示要求訴訟
2000年(平成12年)7月ごろには、事故機の操縦室音声記録装置 (CVR:Cockpit Voice Recorder)を再録したカセットテープがマスメディアに流出した。8月にテレビ各局で相次いで放送され、墜落事故から15年を経て一般人が墜落直前のコックピットの様子を初めて知ることとなった[注釈 52]。
政府やマスゴミが伝えていたパイロット像・会社像を覆すこととなり
その確認をする機会をうかがっていたのは、なんとなく覚えている。
123便の飛行ルートと機体の姿勢を合成した動画がYouTubeに幾つかあって
自分が乗客として搭乗する際は、それが頭をよぎることもあった。
そもそも小型機で揺れるのは仕方ないし
さすがにそこまで死を覚悟したフライトは無かったけど
随分と前だが、岩国から羽田に戻る際、いつもと異なる経由した進入経路で
(航空写真やグーグルアースでしか見ない景色)
荒川か江戸川の上空をいったん北上して、Uターンして江東区の埋立地が見えた時は
ちゃんと滑走路に下りるまでヒヤヒヤとしたのは、なんとなく思い出す。
ブックマークしたのは2021年のこの日に近かったと思う。
エントリーしたのは2022年5月。
この記事、いつまでWEB上に残っているだろうか。
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