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アンドロイドのお姉さん SAORI 「散歩するアンドロイド」
福島の今を見てきました。https://t.co/Ck9pfVlHu6
— アンドロイドのお姉さん SAORI (@saotvos) 2022年11月30日
原発事故から11年、福島・浜通りの今を見てきました。 - YouTube
「散歩するアンドロイド」2022/11/30
SAORIさんは拝見して何年になるかな。
いつもは、旅好き向けの面白動画を作っているが
割りと頻繁にこのような学術系のためになる動画も出してくれる。
今回は「プロモーションを含みます」なので案件っぽいが
福島第一原発の原子炉建屋の至近まで行ってた。
最近は、防護服(防塵服)も義務でなくなり、割りと軽装なんだよね。
私の生きている間には、廃炉にできるとは思っていないので、私も行ってみたい。
ただの野次馬・好奇心だけなんだけど、滅多に入れるものではないので
冥土の土産にね。
懐かしい風景もあった。
浪江町役場周辺がチラッと映った。
役場の向かい側(南側)にイオンができてた。
浪江女子発組合でもおなじみ「道の駅なみえ」辺りは
私が訪問した当時は、農地か何かだったはず。
名物「なみえ焼きそば」など、SAORIさんは黙々と食事する姿が媚びてなくていい。
当時は、請戸川橋から西側はまだ行けなかったかな?
私が現地に訪問するにあたって自費購入した「線量計」
検針(デジタル式だけど)していないので、もう狂ってるかもしれない。
(線量計の様子あります)
割りと躊躇なく体当たりでカメラを回しているけど
Water Park(ウォーターパーク)|スパリゾートハワイアンズ
今回も惜しげもなく披露するYouTuberの鑑。
自分の人生ではリゾートとか二度と縁はないので
男性ユーチューバーでも色んなレジャー施設で遊興しているのを見ると楽しい。
羨ましいとか嫉妬とかもうどっか行った。
こつぶ「こつぶちゃんねる」
陸前高田~気仙沼で過ごした1週間。
— こつぶ@日本一周おかわり中 (@kotsubu_145) 2022年10月30日
色々見て、学んで、参加させてもらって、貴重な経験とこの町で生きていく若者たちの力強さを感じました。思いの籠った回です。
東日本大震災の記憶と、この町でこれからを生きていく若者たちの記録
⇒ https://t.co/HGztF8ggvc pic.twitter.com/XTrhvbFDQ4
それでも、海と生きる。東日本大震災の記憶とこれからを生きていく若者たち - YouTube
「こつぶちゃんねる」2022/10/30
こつぶさんは、他の女性ライダーのユーチューバーの繋がりで知ったはず。
そこで、今の日本一周をたまたま見たので、見続けている。
自分はついぞ宮城県までは行けなかったなあ。
常磐線は富岡駅までだったし、東北新幹線と在来線もあったけど、なかなか。
ライダーハウスはノーマスク。
宿泊施設は客商売・配信者もユーチューバーというビジネスであり
衛生環境の維持には傾注しているだろうし
バイク移動は衛生的というイメージが端的に立証されているかな。
集団感染の報道も無い。
「伝承館」いろいろ。
交通系や旅行系ユーチューバーのスーツさん・がみさん・綿貫さんなども
目的地であったり、移動経路上であったりする形で、お話されているし
今回の2人も、ともすれば言葉にできない災害を、自分の言葉で伝えている。
(いずれも慎重に言葉を選んでいる)
(そういう部分も見続ける理由かも)
阪神淡路大震災の再建支援を生業とし、また、富岡町・浪江町に行った身としては
その豊かな着眼点や表現方法に敬服している。
(なので本来?の面白動画も続けて見ているのだと思う)
マスコミでは伝えられない個人の感想を社会に発信し問えるのが
YouTubeをはじめSNS・ネット社会の、いい面かもしれない。
すぐ分断させ炎上させる悪質なユーザーもいるので、悪い面もあるけど。
(そういうデジタル社会についていけてない初老)
ロザンの楽屋・共感疲労との付き合い方
東日本大震災の津波の映像が繰り返し放送された時に言われたかな。
もちろん阪神淡路大震災でもあったと思うが、当時はそういう概念無かったと思う。
(知らないだけ)
(要出典)
大規模な災害の映像を、繰り返し、一度に大量に接すると
「共感疲労」「惨事ストレス」などと呼ばれる、心的負荷は尋常じゃないし
ともすればサバイバーズ・ギルト、PTSDのような症状に陥ることもあるので
「離れる」のが大事。
これは「自分を守る」ことであり決して「逃げ」「目を逸らす」ではない。
【身体がしんどい方】実は"共感疲労"の可能性 - YouTube
ロザンの楽屋 2022/11/27
菅ちゃんが言ってた、安倍さんのあの動画は見てない。
そういう同様の動画を「探す」以外に
ユーチューブなら「サジェスト機能」で関連動画が表示されるので
ふだん使っているブラウザでは、見ないようにしている。
視聴履歴を消す(キャッシュをクリアする)と、次から惨事動画は出なくなる。
平成7年・1995年1月の月末頃か翌2月の頭だったか
大学から被災地域の道路の閉塞状況を調査して来い(任意)とお達しがあった。
近畿圏の大学が有志で京都大学の防災研究所に協力する形で
暇な学生(←コラッ)を派遣したはず。
(先輩OBの自宅は全壊したが全員無傷の無事で喜んだり悲喜こもごもだった)
(こういうのが毎日毎日連絡があってでメンタルが崩れる)
講堂かどこかに集められ現状のレクチャーがあり
ヘルメットと腕章、割り当て地図、インスタントカメラ(写ルンです)を支給され
断続的に数日間、我々(3人か4人のチーム)は海側を歩いて回ったはず。
当時は確か、阪神電車の青木駅(おおぎえき)まで開通していた。
(深江駅だったかな?)
(おお、立体交差化されている。当時の面影は無いね・・・)
どれぐらい建物が崩壊して道路が通れなかったか、さすがに忘れたが
明らかに人が亡くなっている痕跡(掘り返したまま家財は放置とか)あったはずで
帰宅後、歩き疲れた以外のしんどさがったのは、なんとなく覚えている。
当時は、癒してくれる人がいたのでまだマシだったけど。
(しまった黒歴史を思い出した)
そういうPTSD的なものは一般化しておらず、皆さん大変だったと思う。
男性のバイクユーチューバーも見てる。
H -SADA【バイクと車を楽しむチャンネル】 - YouTube
バイクの免許を関西人時代に取ったのに、乗れてないペーパーライダーなので
(二宮さんはビジネスだけど)日常を生きながらバイクに乗ってるの憧れる。
その他、乗り物系では、一関市のきくしんさんも震災当時のことを語ってらした。
(動画を見てないで社会復帰しろって)
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