不惑で上京

★不惑で上京

リストラ解雇された後に、東京で再就職したブラック企業を退社した後に、実家に戻らされた田舎者の独り言。

NHKスペシャル「無人の町の"じじい部隊"」・・・還るも自由、還らないも自由。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0307/
福島県大熊町で奮闘する元幹部職員のお話。

冒頭を見逃したので説明があったかもしれないが
あの”じじい”の報酬どうなってんだろ。
ボランティア≒無給では、余りに酷な環境だと思った。


録画してないので記憶が曖昧だが
住民説明会で町長に対し帰還の目途を問う出席者と
町長に分かるわけねぇと言い放つ出席者との緊張の場面は
阪神・淡路大震災」での激論を思い出した。

その「阪神―」で、社会人の大部分を費やし
被災者の方々と膝を突き合わせて話をし
共に笑い涙した経験は
リストラ解雇とその後の再就職で、灰燼に帰してしまった。

一級建築士技術士、再開発プランナー等の資格を持つでもなく
ただ単に、優秀や上司のお供での経験だが
一応、技術者の端くれとして生きていた気概はあった。


今の、いわゆる事務員さんの生活は
休日出勤も(ほぼ)なく安定して良いのだが
いかんせん刺激が無く、平凡で
事務なんてのは結局、誰にでもできる仕事≒作業なので
給料も安いし、職業人のキャリアとしては皆無に等しく扱われる。

あのまま解雇されず、関西で都市計画畑・建築畑を歩んでいても
周囲に比べ余りに馬鹿なので行き詰ったと思うが
今よりは、世のため人のため社会のためという、働き甲斐はあったと思う。
 ↑
思い上がりの自己満足だ。

新見薫のような心理カウンセラーの友人が時々
福島に行ってると報告を受けるが
私には何もない。

車が運転できたり、放射線災害の知識があったり、何かあれば
”じじい”の活動に参加し、共に若者の道を整備したいと思ったが
私には何もない。

安くても目先の薄給、東京という刺激の多い街での暮らし
父を見舞うための休日の確保などなど
わりとどーでもいいことで、北に向かうことを躊躇する自分が同居する。

どこかの被災自治体が臨時職員を募集していたが
結局はバイトなので(みなし公務員)
やはり躊躇し(応募資格・要件も無かったし)
今に至っている。


1.17も3.11も、忘れた頃にやってくる特番を見ると
自分の不甲斐なさが嫌になる。

嫌なのに見る。
私自身がドMなのは分かった。


じじいの仲間が村を去る決断をしたのは
残酷でもあり、しかし、尊重すべきでもあり
外野から意見するのは適切ではないし
する言葉も持ち合わせていない。



その後、風呂上りに見た「ドキュメント72時間『沖縄 眠らない床屋』」との
http://www4.nhk.or.jp/72hours/x/2014-03-07/21/18701/
空気感の落差というか何というかが
余りにも有り過ぎて
日本は狭そうで意外と広いなあと。

沖縄の成人式は、ある種の事件現場。
頻繁に発生する三面記事にはもう驚かなくなったが
触法やんちゃは、実名の出ない未成年のうちにする方がいいと思ったり。

友人がお父さんをやってるのを凄く羨む若者の気持ち
分かるなあ(笑)

あの床屋さん、切り終えてドリンクサービスがあるのね。
私の行き付けの美容院は、割とお値段するが、サービスねーよ。
(それは当たり前なんだけどな)