無職の野暮用で市内へ。
先日の山口県に続き
「症状は安定」広島市・新型コロナ初感染の男性 | 広島ニュースTSS | TSSテレビ新広島
03/7(土) 18:30 掲載
7日、広島県内で初めて、広島市安佐南区に住む男性が新型コロナウイルスに感染したことが確認されました。
【広島市 松井一実市長】
「昨日、広島市で初めて新型コロナウイルスの感染が報告されました」
新型コロナウイルの感染が確認されたのは、安佐南区に住む30代の自営業の男性です。
広島市によりますと、男性は先月上旬に咳の症状が出たことから、先月15日から今月5日まで、広島市安佐南区や中区、南区の合わせて4つの医療機関を受診し、6日夜、感染が確認されました。
男性は現在、広島市中区の感染症指定医療機関に入院していて、咳はありますが熱は、36.7度と、症状は安定しているということです。
県内初の感染者 広島市4か所の病院を受診 新型コロナ | RCC NEWS | RCC中国放送
【会見全文】県内で感染者うけ広島市長が会見 | 広島ニュース・報道 | 広島ホームテレビ
新型コロナウイルス相談窓口
2020/3/7広島県、山口県と厚生労働省の新型コロナウイルスに関する相談窓口は次の通り。
岩国基地の関係者
2020/3/7
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、岩国市の福田良彦市長は6日の市議会本会議で、米軍岩国基地のフレデリック・ルイス司令官と面会し、基地で感染者が出た場合、情報共有を図る考えで一致したと説明した。
5日に基地を訪れた福田市長は、基地や周辺で感染者や感染の疑いが発生したケースについて「日米合同委員会の覚書に基づき、基地と地元自治体で情報共有を図りたい」と伝えた。ルイス司令官は「基地内で発生した場合、市にも速やかに連絡がいくようになっている」と応じたという。また、これまでに基地で陽性の人は出ていないとも説明を受けたとしている。
市議会はこの日一般質問を始めた。当初5日間の日程だったが、市執行部がウイルス対応で忙しくなっている状況に配慮して3日間に短縮した。傍聴者にはマスク着用やアルコール消毒を呼び掛けた。
2020/3/5
岩国市は4日、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の下船者の中に米軍岩国基地関係者が2人いることを明らかにした。
3日に基地から市へ報告があった。2人は医療機関の検査で陰性が確認された後に下船。岩国市に戻った。基地によると、下船したのは基地の契約業者と配偶者。性別や年齢、下船日時などは明らかにしていない。市は今後、2人の健康管理の情報収集に努める。
これは下関市の人。
2020/3/4
そんな中で市内へ。
午前10時過ぎの広島駅はこんな感じ。
多いのか少ないのか分からないが
いつも外国人旅行者で賑わうみどりの窓口はガラガラだった。
できたばかりのケーズデンキへ。
1階店舗下の駐車場はまあまあ埋まっていた。
広島駅地下歩道は黒山の人だかり。消費不況どこ吹く風。
福屋・ビックカメラが新型コロナ対策で開店時間を
午前11時に遅らせているので、これに合わせた群衆と思われる。
今日は八丁堀まで電車で移動。
立町の1本裏の通り。
狭い道路を爆走するミニバン・・・。
エディオンも開店を遅らせていた。
で、
何かやってるなーと思って検索したら・・・
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本題。
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2020/2/27
緑化フェアの準備が進む旧市民球場跡地。北側に築60年以上経過したライトスタンドの一部(奥)がたたずむ
旧広島市民球場跡地(中区)に残るライトスタンドが撤去される見通しとなっている。サッカースタジアム建設候補地から外れ、市が跡地を、イベント広場を核とするにぎわい拠点に再整備するからだ。広島東洋カープとともに被爆地の復興を支えた旧球場を今に伝えるスタンド。カープファンからは「何らかの形で面影を残して」との声が上がる。
3月19日開幕の「全国都市緑化ひろしまフェア」(ひろしま はなのわ 2020)のメイン会場になる球場跡地。準備が進む中、一角に幅35メートルの階段状のスタンドがひっそりと立つ。朽ちたコンクリートと古びたベンチは、1957年7月に旧球場が完成した時の姿のままだ。
市が旧球場を閉鎖したのは2010年8月。その名残は今、このスタンドと、優勝の記念碑などが並ぶ跡地南側の「勝鯉(しょうり)の森」だけだ。広島一塁側応援団の相談役新藤邦憲さん(71)は「10年も風雨にさらされたスタンドを見ると忍びない気持ちでいっぱいになる。なくなると、カープゆかりの地を知らない世代が増えていく」と残念がる。
旧球場の閉鎖に際し「球場を何らかの形で残してほしい」との声が多数寄せられ、市はスタンドの一部を残した。一方で15年1月、球場跡地の再整備のイメージ図を公表。中央に屋根付きイベント広場などを設ける内容で、スタンドは「旧球場の歴史を後世に継承することを前提に解体する」とした。
この動きと並行し、球場跡地はサッカースタジアム候補地として浮上。跡地活用は「凍結」状態になり、暫定的なイベント会場として使われた。19年2月、スタジアムの建設地が中央公園自由・芝生広場に決まり、跡地は当初の計画通りイベント広場として整備されることになった。
スタンドは本当になくなるのか。現地保存のハードルは非常に高いといえる。スタンド周辺は、隣接する広島バスセンターが現地建て替えする場合の仮設バス乗り場となる予定で、現状のまま残せばバスの出入りを妨げる恐れがある。
ただ、球場跡地を含む中央公園全体の活用策を考える市の有識者会議では1月、「ファンが当時のスタンドを体験できるよう、勝鯉の森付近に一部を保存しては」との意見も出た。
市都心空間づくり担当の松尾雄三課長は「スタンドの取り扱いは今後、イベント広場の整備を具体化する中で最終的に決める」とする。市は3月3日まで、中央公園全体の活用方針に対する市民意見を募っている。同担当Tel082(504)2758。(加納亜弥)
旧市民球場跡地を含む中央公園の今後の活用 - 広島市公式ホームページ
「中央公園の今後の活用に係る有識者会議」の開催状況について - 広島市公式ホームページ
第1回 令和元年8月29日(木)
旧市民球場跡地の空間づくりのイメージ (平成 27 年 1 月)
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記事中の「15年1月」は2015年・平成27年のコレ
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残されたライトスタンド - 広島市、旧広島市民球場跡地の写真 - トリップアドバイザー
旧広島市民球場跡地|ライトスタンド | スポット詳細 | HISTRIP(ヒストリップ)|歴史旅専門サイト
ひろスポ!2019年09月26日12時40分
カープファンの聖地、旧広島市民球場ライトスタンド野ざらしのまま工事中、そんな状況で「中央公園の今後の活用に係る」プラン作り?新サッカースタジアム?
画像は、旧広島市民球場跡地での工事が続く中、野ざらしのままのライトスタンド、雑草が生え放題な状況も確認できる
旧広島市民球場跡地に残るライトスタンドの一部が野ざらしにされたまま、旧広島市民球場跡地では2020年3月に開催される全国都市緑化フェア開催に向け、本格的な工事が始まった。
いったいこの残存するライトスタンド、どうなるのか?
雑草が生い茂る残されたスタンドの一部に対して、ファンらが見るに見かねて草刈などを申し入れてきたが、現状はまさに”野ざらし”かつ”野放し”状態だ。
そもそもなぜ、こんなことになったのか?
その責任者は当時の広島市の秋葉忠利市長と、そのバトンを受けた松井市政だ。市民、カープファンの約9割が「市民球場解体反対」の声を上げ、市民団体からは「旧広島市民球場解体差し止め仮処分」が広島地裁に申請されるような状況下で、けっきょく旧広島市民球場は解体されることが決定した。
その代りに”ファンの思いを汲んで”残されたのがライトスタンドの一部、という訳だ。
責任者はもういない。そのツケは市民が払わされることになる。
旧広島市民球場の解体は、反対の声が最も大きかった2010年の11月に始まり2012年2月末で終了した。
要するにもう7年半もの間、活用法が示される訳でもなく、このライトスタンドの一部は宙ぶらりんな状態でそのまま残されてきたことになる。
広島市では新サッカースタジアム問題や、まさにこの旧広島市民球場跡地を中心に据えた「中央公園の今後の活用に係る有識者会議」を8月29日に立ち上げた。
しかし、その土地の歴史、市民の思いなど一番大切なことを平気で?”野ざらし”にしたまま、未来の活用策を探るのでは本末転倒だろう。
それは単なるポーズでしかなく、そこには「平和の軸線」に貫かれたこの世界的にも稀有な空間へのリスペクトがない。広島の都市の復興を支えた広島スポーツに対するリスペクトもない。
平和の軸線はこの残存するライトスタンドからさほど遠くないところを通る、
平和の軸線については、中央公園北側の、新サッカースタジアム建設地と目と鼻の先にある基町小学校のHPで丁寧に解説してある。
繰り返すが、旧広島市民球場跡地の残存するライトスタンドですらまともに扱えないようなスタンスでは、新サッカースタジアム建設も含めて「中央公園の今後の活用」に何ら深みを生み出すことにはならないだろう。
(ひろスタ!特命取材班)
平和の軸線 - 基町小学校
広島県の政財界が旧市民球場跡地にサカスタを建てさせなかったのは
サカスタ計画をストップされると困るので、ここでは書かない。
商工会議所の存在感を見て「どの口が」と思ったけど黙っておく(笑)
これの #6 ね。
原爆ドーム景観:左右18度「建物なしに」 広島市審議会部会、基本方針を確認 /広島 - 毎日新聞
この議論もサカスタ潰しだよね。何も進展してない。
おりづるタワーの所有者のこともあり「18度」は逆に
意図的な数値ではないと思いたいが・・・。
ただ・・・
「勝鯉の森」の存在は大きかったと思う。
カープの歴史≒広島の復興の歴史であり「場所」が大事な要素。
ズムスタ移転に合わせて移設するようなものではない。
カープ至上主義者を説き伏せる最大のネックだったろうね。
旧球場解体でライトスタンドを残したのに
平成27年(2015年)のイメージパースを見て
「は?」と思ったのも懐かしい。
その後のサカスタ議論で
「旧球場跡地に建てるならこの話は無かったことにする」
しばらく離れていた。
気が付けばこの惨状。
新型コロナの検査拒否・診察たらい回しと同じで
(重症/軽傷の診断、検査体制等の諸事情はあろうが)
結果的に「決められない広島の政治」を見た感じ。
(保健所や市県衛生当局への連絡は医者の判断だろうが)
そういえば、商工会議所ビルは動かないのか。
基町駐車場周辺の再開発が動いたら市か県か国に移るのかな。
2019/11/20
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