不惑で上京

★不惑で上京

リストラ解雇された後に、東京で再就職したブラック企業を退社した後に、実家に戻らされた田舎者の独り言。

関西人の「知らんけど」 。

 

知らんけど - Google 検索

 

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関西弁、最後に「知らんけど」 笑い絡ませ表現に奥行き: 日本経済新聞

とことん調査隊

関西タイムライン

2021年10月12日 2:01 [有料会員限定]

東京出身の記者(33)は大阪に赴任して1年半。関西での日々の暮らしの中で戸惑ったのは、真面目な会話をしていても、最後に「知らんけど」と付け足す人が多いことだ。少し無責任にも感じる言葉だが、そこには商業の街として栄えた大阪の歴史、土地柄も密接に絡んでいるらしい。

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関西の人々は実際、どれだけ「知らんけど」という言葉を使うのか。9月中旬、日本一長い商店街といわれ、多くの買い物客でにぎわう天神橋筋商店街大阪市北区)で聞いてみた。「毎日使う」と答えたのは8割以上。60代以上は使わない人が多かったが、若い世代では大半の人が日常的に口にしているようだ。

「プライベートでも仕事でも頻繁に使う」と語るのは、営業職の40代の男性会社員。たとえばSNS(交流サイト)で目にした情報などを話題にする際に「こういうことらしいで。知らんけど」と言葉を加えるという。伝聞に基づく話だったり個人的な見解だったり、曖昧さを含む内容の場合に、責任回避や照れ隠しの意味合いで用いるようだ。

一方、専門学校に通う女性(20)は「内容の真偽に関係なく、場を和ませる手段としてよく使う」とニュアンスが異なる。会話の面白さを優先して持ちネタを披露し、最後に「知らんけど」とオチをつけるパターンだ。相手から「知らんのかーい」とツッコミが入ることもあるという。

多分にお笑いの世界にも通じる要素を含むようだが、いわゆるバズワード(はやり言葉)化したのはいつ頃か。

大阪大大学院文学研究科の金水敏教授が調べたところ、ツイッターでは2012年に「知らんけど」の用法に言及した投稿が登場。遅くともこの頃には一般の人にも使われていたとみられるという。

ただ、金水教授によると、本格的に流行したのは最近3~4年だ。現在はテレビの番組名にも登場する全国区の言葉だが、12年ごろはまだ前段階。作家の柴崎友香さんの著作「よう知らんけど日記」(13年出版)のタイトルを目にした際には「独特の感覚で面白いと感じた」と語る。

記者が当初感じた耳慣れない感覚の背景には、関西の独特の文化もあるようだ。

「江戸(東京)は武士の社会で、責任のある言動が何よりも大事だった」。金水教授はこう指摘する一方、大阪は昔も今も商都で「相手を楽しませる会話は、新たなビジネスの創出につながる。日ごろから笑いを重視するのはそのためではないか」と語る。

実際に、関西ではビジネスの場でも笑いが重視されるという。企業の社員向けに営業などの研修を行うコンサルティング会社「営業会議」(大阪市中央区)の野口明美社長は「笑かしたらなんとかなるわけではないが、笑いは本音を引き出すための重要なエッセンスの一つ」と話す。相手がつっこまずにはいられない笑い話をあえて盛り込み、取引先との距離を縮めるのも商談のテクニックなのだ。

もう一つ、関西弁で興味深いのは、言葉の表現力の奥行きの広さだ。日本笑い学会の理事も務める同志社女子大の影山貴彦教授は、真偽を明確にしない言い回しにも「実は話し相手への配慮、思いやりがある」と語る。代表的なのが「行けたら行くわ」。本当は行けないのに、その場ではあえて断言しないという。

「知らん」は語尾で意味が変わる。「知らん」は「本当に知らない」で、「知らんわ」は「私も知らない」という相づち。「知らんねん」は「知らなくて申し訳ない」という意味を含み、「知らんし」や「知らんがな」は「どうでもいい」「興味ない」。言葉の表情の豊かさに関西弁らしさが漂い、SNS上でも話題だ。

直接口にすると角が立つ内容でも、しなやかに表現するのが関西弁の奥の深さ。これはぜひ習得しなければ。知らんけど……。(高木雄一郎)

 

 

良くも悪くも適当=四角四面をよしとしない関西人を代表する言葉だよね。

 

知らんけど。

 

 

 

 

 

 

江戸・東京は、余所者の集積地なので、かっちり決める必要があったが

大阪(関西)は、それ相応に気心の知れた土着民の土地なので

曖昧で適当=ハンドルの遊びのような雰囲気を残していたと思う。

 

金銭や数量など契約事項は、当たり前にキッチリしていたが

ビジネスの打ち合わせ、プライベートの待ち合わせ、など

当時の、薄い薄い記憶を思い出すとなんとなくね。

「阪急梅田駅のビッグマン前で」は、人に対して空間が広かったので会えるが

新宿駅のアルタ前で」では、とにかく人が多過ぎて会えなかった(笑)ので

街の成長過程から、言葉も変化したのだと思うよ。

 

知らんけど。

 

 

 

 

 

今思い出した。

「さよなら」は

関東では、普通の去り際の挨拶だが

関西では、今生の別れのようなニュアンスで使いたがらない

(「ほなまた」「またね」などだったかな?忘れた)

言葉だったと記憶するが、検索しても当該の分析は無いので、記憶違いかも。

 

スタジオジブリ版『コクリコ坂から』で

ヒロインの海ちゃんが、想い人の俊くんとの別れ際に「さよなら」と言ってて

 (中の人は、長澤まさみさんと、ひらパー兄さんこと岡田准一さん)

おぉ...と思ったの10年も前のことだけど、割りと鮮明な感覚。

要確認。