不惑で上京

★不惑で上京

リストラ解雇された後に、東京で再就職したブラック企業を退社した後に、実家に戻らされた田舎者の独り言。

NHK『アニメーションは七色の夢を見る・宮崎吾朗と米林宏昌』見た。

8/8放送。
http://www4.nhk.or.jp/P3210/x/2014-08-08/21/31090/

これも随時差し込まれるマルシー表示。

NHKジブリ石田ゆり子さんをナレーションに起用するの好きだな。
私も好きだが。

この日の『あさイチ』に鈴木敏夫Pが出たらしい。
どこかに動画が転がってないかな?


米林宏昌監督

通称は”麻呂”であり”マロ”は誤字と、どこかで読んだ(聞いた)。

ジブリ生え抜きで最新作『思い出のマーニー』の監督!
企画上は「セルアニメーションの担い手」という設定(位置付け)。

世間的には米林監督の方が有名と思うが
(違うか?)
NHKは番宣もあり吾朗さん押しに見えた。


編集の魔力もあるのだろうが発言の端々に
駿を唸らせた画を手掛けられる能力による”漲る自信”がある。
「我等の力を見よ」は”そんなサービストークするんだ”と、感心した。

自らの初監督作品『借りぐらしのアリエッティ』を例に
巨人=人間=宮崎駿、小人=自分と表現するあたりも才能がある。

駿曰く「官能性がある」と、アリエッティを形にした才能をべた褒め。
マーニーのポスターを見て「金髪じゃなきゃいいのに」と悪口(笑)
この話の記事は見出しだけ見た。
(中は読んでない)

麻呂さんは吾朗さんのローニャは「気になる」らしい。
「日本で3DCGが成功するのは難しいので、成功例が欲しい」との見解。
発言が御大ですな(笑)
 ↑
褒めてます念のため。

アフレコは画が出来上がっていない状態でやるのね。


追い込み時期は「家族の時間を削って」作ると言ってた。
麻呂さんの奥さんはアリエッティの時、その激務に
かなり会社に対して苦情をを言ったらしいが(当たり前)
今回の監督登板は反対しなかったのかな。


「成長したいと思ってる人間だけが成長できる」うっ・・・胸が痛い(笑)



宮崎吾朗監督

自局・BSプレミアムの『山賊の娘ローニャ』の番宣ですよー!

企画上は「本格的3DCGの担い手」という設定。
実際に形にするのは ポリゴン・ピクチュアズ という専門集団で
吾朗さんも「僕の」ではなく「僕らの」作品と言ってた。

NHK、吾朗さん好きだよね。
私もかつて建設コンサルタントと呼ばれた仕事をしていたので
勝手にシンパシーを感じている。

私は、吾朗さんを
『みんな大好き!ゲド戦記』からではなく
コクリコ坂から』で知ったので
アレルギーは無い。


鈴木敏夫Pが吾朗さんをジブリから出したのは、親の庇護下からの解脱ね。
この題字は「鈴木Pの明朝体フォント」かな。
http://www9.nhk.or.jp/anime/ronja/
テーマ曲は”やはり”手嶌葵さんの歌唱。
アニメ自体はBSなので見られないが、CDが出たら買うだろうな。

スタジオジブリは「制作協力」とクレジットされているね。
パソコンとか貸したのかな?


ジブリを離れた意図を、”軸足”と言った「3DCG」で食って行くみたい。
ローニャ親子の喧嘩の場面はシリーズの山場のようで
製作への本気度を「上手くいけば歴史に残る」と言い切っていた。
周囲のスタッフもグッと力が入っていた。
(気がした)
『アナ雪』ですらキモっ・・・と思う私には、番組内の3DCG動画は厳しかった。
まだ作業途中だからと思いたい。

吾朗さんの絵コンテやイメージスケッチの方が受け入れ易いと言うと
確実に怒られるなごめんごめん。


CGと並行して背景美術の仕上がりも問題と言ってたが
奇しくも先日の情熱大陸で、駿監督と鈴木Pが語り合っていた業界全体の問題。


駿曰く「粘り強さに感心する」と珍しく(初めて?)息子を褒めてた。
親父と同じ道を通ることを「無謀」と表現するあたり
一応、自分が「世界のMIYAZAKI」であることを分かっている様子。

その息子曰く「宮崎駿は拾って歩く天才、だからオリジナリティがある」
取捨選択して「稀代なもの作る」と、父を監督として敬意を持って話していた。
(気がした)

そして麻呂監督を「絵が上手でいいな」と羨望の眼差し(笑)


いつでもどこでもタバコプカプカは親父譲り。
禁煙団体からクレーム入るよ。



●その他の雑感

2人はアニメーション監督という同業者であっても「ライバル」ではない。
ジブリの」あるいは「アニメの」跡継ぎかもしれないが、「宮崎駿の」後継者ではない。
以上、私の考え。
なので
とかく巨匠と比較したがり、ジブリの品質が下降線だとミスリードしたがる
マスゴミさんの意図は、受け付けない。


駿監督は「菜穂子さん」とは言ってなかったと思うが
麻呂さん杏奈を「杏奈ちゃん」と言ってたし
吾朗さんも「海ちゃん」と言ってた。
ここは、作品へのアプローチの哲学というのかな
駿は結末が未決でも登場人物のことは全部お見通し
麻呂&吾郎は常にヒロインのことを模索しながら作る
という作り方が色濃く出ていたと思った。
(私の勝手な妄想)


駿監督と比べて
麻呂さんや吾郎さんの作品を口汚く罵るのは簡単だが
陥れようとする誰よりも優れた人間なのは間違いないので
(いやまあ実際に会ったことはないパブリックイメージだがw)
私は今後も観たいので、出資者は出資してほしいし、鈴木Pも体制を維持してほしいと
勝手に思った生ぬるい夏の夜。


四十歳までに専門性を持たない人間は駄目だなと
自分の人生を残念に思った生ぬるい夏の夜。