「まるまる」ってwebでは表示されないことが多いね。
恐らく思い入れが強い名前と思うが
もう少し何とかならんかったのかと思ったのは正直な所。
広島駅の橋上コンコースの通過中に展示会していると聞こえたので
入場券を買って入ってみた。
何等かの圧を発する一団。
9番のりばを出入りする芸備線と並んだ時も
ギャラリーの鬼気迫る熱気が凄かった。
私は撮れてないが(笑)
このようなイベント列車で旅をしたことがない。
鉄道とは通勤・移動する手段。
毎日おしくらまんじゅうする下駄だった。
大垣夜行のボックス席で東京に行ったり(帰りは新幹線)
特急つばめ号のグリーン個室で九州縦断往復したのは
薄れつつも今でもいい鉄道旅行の思い出。
学生時代はシュプール号なるスキー列車があったからね。
ウチら団塊ジュニアは18歳人口の多かった時代なので
当然「私をスキーに連れてって」の影響もあり(笑)
バブル崩壊でも、それなりに需要はあったらしい。
新幹線ホームにも上がる。
700系こだまレールスター。
新幹線の旅に新しい可能性を提示した旧ひかりレールスター。
(旺盛な需要に応えるしかないJR東海には無視されたが)
大阪人時代に、サイレンスカーやコンパートメントなど使った。
今日は休日なのに、思いのほか車内はガラガラだった。
意外だったが、今「こだま」は8両なので座席が足りているのかな。
「それに見合う乗客数がいなかった」裏返しだけど
かつて「こだま」は100系の4両編成だった。
6両もあったよね。
今は全部、500系と700系の8両だよね。
先頭車は座席を大幅に減らしてるそうだし
こだま停車駅は都市としても小さいし需要はそれほど無いのかもね。
の
21. 輸送データ によると
山陽新幹線の乗客数は順調に増加で推移している。
wikipediaによると
東京直通で盛り返しているようす。
さすが世界一魅力的な街・東京だぜ(乾いた笑い)。
書いてないけど
インバウンド様の利用も伸びてるのかな?
ホームで見てても明らかにガイジンサン多かったし。
逆に
新幹線のクセに無人駅にしたがるほどの凋落ぶりとして
利用状況ワースト4駅が挙げられている。
在来線併設駅である厚狭駅はともかく
単独駅3駅(新尾道駅、東広島駅、新岩国駅)の周辺のお上りさんは
飛行機を使っているのかな?
(広島空港、岩国錦帯橋空港、山口宇部空港までマイカーで移動)
関西人時代なので、もう5~6年前の話になるが
16両「のぞみ」からの乗り換え客を受ける4両「こだま」は
乗車口での渋滞・行列を、しばしば見た。
明らかに車両が足りてなかった。
大きなバッグを抱え、あるいはキャリーバッグを他人にぶつけながら
通路やデッキで立たされる旅など「二度とするもんか!」と思うよね。
民間企業だし、無い袖は振れないとはいえ
「本数・車両数・座席数」という商品への投資を怠った結果
近距離?中距離?の客には愛想を尽かされた結果と思ってる。
当時も東海道新幹線のように「こだま」を
16両編成にする必要性は感じなかったが
逃した魚は大きかったね・・・という感じ。
超個人的な感想(ソースは俺) なので証拠は無いよ。
私が大阪から東京に移って
移動手段も新幹線から飛行機に移ったのは
座っている時間の短さだよね。
新幹線は品川~広島で約4時間
飛行機は羽田~岩国で約1時間45分
自宅から新幹線駅/空港までの物理的距離や
空港の保安検査など儀式などで
移動時間はトータル5~6時間で余り変わらなかったけどね。
飛行機は
「つり革または手すりにお摑まりの人」や
「デッキでお立ちの人」がおらず
静かに移動できたのも大きいかな。
ハズレの回も少なからずあったけれど。
まだまだ現役700系の「のぞみ」
500系より後発なのに性能が悪かったが
大阪人時代はココから新大阪まで行き来した。
500系を指名買いしていた時もあったが
博多から来る東京直通列車は混雑が酷いので
あえて広島始発の列車を選んでいた。
懐かしいねえ。
あの頃はまだ若かったねえ。
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