不惑で上京

★不惑で上京

リストラ解雇された後に、東京で再就職したブラック企業を退社した後に、実家に戻らされた田舎者の独り言。

父の葬儀のため帰郷。

fuwakudejokyo2015-10-23


2週間ほど経過して、ちょっと落ち着いたので忘備録めも。

朝というか未明に電話が鳴った。

こんな時間に出るまで鳴らしていることから
実家からとはすぐに分かったが
宇宙戦艦ヤマト2199の第26話の内線電話に出るのを躊躇する古代進のように
受話器を上げるのをためらった。

とりあえず今日は家に帰って来るだけとのことで
焦って始発便で帰る必要はないとのことだった。

とりあえず朝食。
落ち着くには、深呼吸と食事。
小一時間して実家に電話すると丁度帰宅した所だった。

とりあえず始発で出社して、できることだけやっとく。
めっちゃ忙しい時期だったが
(復帰した今でも引きずっている)
(今後も延々と引きずるはず)
自分の親と天秤にかけて思考する必要もないので
取り急ぎ一週間ぶんの引き継ぎをして
偉い人に暫く休む・復帰は未定と告げて、自宅に戻る。


■実家に持って帰ったもの。
黒服上下、黒ネクタイ、黒靴下、白ワイシャツ、数珠
それなりのお金
ひげそり(たしなみ)
実印(財産・相続の話がすぐに出るのよ、いやらしい話)
パソコン(会葬者(香典)の整理・集計に必要)
黒革靴はいつも履いてるビジネスシューズ

■忘れたもの。
普段着。例えばインナーとかシャツとかね。
実家のタンスは、夏物と冬物が主で、この時期のが無かった・・・。
どんな格好で帰ろうか頭が回らなかったので通勤スーツで帰った。


昼過ぎの飛行機を押さえて帰路。
いつもの通勤カバンにはデジカメが入っているので
不謹慎かもしれんが、いつものアングルは撮っておいた。

その時は、もう二度と東京に戻らないかもと思っていたから。
結局、戻っちゃって、今は破滅的な作業量に苦しんでるんだけど。

山手線が遅延気味という情報があったので早めに移動したら
思いのほか早く着いちゃった。
スーツバッグと通勤カバンを抱え、搭乗口前の椅子で仮眠。

定刻通り呼び込みがあったと思う。

神奈川県上空までは起きていたが
配給をもらって寝ちゃった。
目が覚めたらフタをしてもらっていた。
配給を飲んだら再び寝ちゃった。
目が覚めたらカラの紙カップがなくなっていた。
鍛え抜かれたANAのベテラン客室乗務員女史の静かな仕事に敬服。
起きたら瀬戸内海上空だったはず。

定刻より少し早めに到着した様子。
いつもの連絡バスではなくタクシーで移動。
これも人生の必要経費。

帰宅したら既に棺にインしていた。
おくりびと氏が来て色々としてくれたらしい。

お盆の時より相当痩せこけていた。
最期は穏やかでない状態だった様子。

噂を聞きつけて、ご近所さんが来てくれた。
「いや〜久しぶりやね〜」
「大きくなったね〜」
「おばちゃんのこと覚えてる?」
「こんな時にしか会わないね〜」

葬儀屋は、10年ぐらい前に祖母で世話になった会社だった。
既にかかっている費用(病院→自宅の移送や棺等々)をはじめ
葬儀場代に祭壇、花、会葬御礼品などなど数字が膨れ上がり
母曰く「死ぬのも安くない(苦笑)」というお値段に。

お通夜・葬儀に金がかかり過ぎるのは社会問題だが
この後、丸2日、色々と裏方作業をしてくれたので
そりゃまあ決して安くない金銭が必要だが
これも人生の必要経費なのかな。

後に分かるのだが
父の現役時代から友人はまだまだご健在で
若い頃のアクティブ青年だったエピソードを教えてもらい
遠方からも駆け付けて頂き、かなりの会葬者となり
ちゃんと葬式をやっといてよかったと息子的には思った。

やらないでよいと思う人は、葬式やんなくていいと思う。
ほぼすべて消えて無くなる金銭だもの。

骨壺は母のこだわりで見栄えのいいものだった。
(けれど桐の箱に納めているので見えないと後に発覚!)

喪主は母だが、遺族代表で挨拶することになり
葬儀社から例文(カンペ)をもらった。
セリフ覚えが悪い私の最大の試練だった。

夜は何十年かぶりに川の字で寝た。