不惑で上京

★不惑で上京

リストラ解雇された後に、東京で再就職したブラック企業を退社した後に、実家に戻らされた田舎者の独り言。

ドキュメント72時間「福島・浪江 小さな弁当屋にて」見た。

 

「福島・浪江 小さな弁当屋にて」 - ドキュメント72時間 - NHK

福島県浪江町にある、小さなお弁当屋が舞台。安くてうまい手作り弁当を目当てに、復興の現場で働く作業員やドライバー。避難指示が解除されて戻った、地元の人たちが連日やってくる。除染の仕事を10年続けている男性作業員。町に生活感が見えないというダンプカーの運転手。近所に誰もいなくても、この町で暮らしたいと語る老女。原発事故から10年。小さな弁当屋に行き交う人たちの声に3日間、耳を傾ける。

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https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2021031218647

ドキュメント72時間「福島・浪江 小さな弁当屋にて」

3/12(金) 午後10:45-午後11:15

配信期限 :3/19(金) 午後11:15 まで

福島県浪江町にある、小さなお弁当屋が舞台。安くてうまい手作り弁当を目当てに、復興の現場で働く作業員やドライバー。避難指示が解除されて戻った、地元の人たちが連日やってくる。除染の仕事を10年続けている男性作業員。町に生活感が見えないというダンプカーの運転手。近所に誰もいなくても、この町で暮らしたいと語る老女。原発事故から10年。小さな弁当屋に行き交う人たちの声に3日間、耳を傾ける。 

 

WEB面接(オンライン面接)や携帯電話の買い替えなど色々あったが

ギリギリやっと見られた。

 

場所は「東邦銀行 浪江支店」跡地の「ぽてと」というお弁当屋

地理院地図 / GSI Maps|国土地理院

Google マップ

浪江町役場の東隣「まち・なみ・まるしぇ」の裏手というのかな。

浪江町仮設商業施設「まち・なみ・まるしぇ」 | 相双ビューロー SOSO BUREAU

私も2017年に通過した地域。

【富岡町・浪江町へ】(27)浪江町役場周辺。 - ★不惑で上京

【富岡町・浪江町へ】(28)田中町交差点〜知命寺交差点〜請戸川周辺。 - ★不惑で上京

 

キャプ画の奥(抜け)の建物は、建て替えられた浪江消防署。

手前はレンタルビデオ店の跡地だった。

その左手にイオンが出店した。



川栄李奈さんのナレーション原稿「肉体労働」って久しぶりに聞いた。

 

神戸・阪神淡路大震災と異なり、東日本大震災原発事故による放射線災害で

放射能災害なのかな)「住めない町」となったのは復興に痛手だった。

 

いまだ浪江町の8割が帰還困難区域という。

【初めての方へ】すぐわかる浪江町(なみえまち)の現況 | 浪江町ホームページ

掲載日:2020年12月10日

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DASH村もね...) 

公営住宅の跡地だったかな、立ち並ぶ平屋の集合住宅の空地部分に 

除染土を詰めたフレコンバッグ(トンパック)が野晒しで山詰みだった。

(3年前の富岡駅前もそうだった)

でも、震災の爪痕の風景はここだけ。

あとは、ダンプ運転手さんが連れて行ってくれた津波被災地かな。

 

町役場近隣という町の中心地。

午前2:15仕込み開始。もともと配達専門のお弁当屋さんだったのを

震災復興・空き店舗が出たので直営店を出したそうな。

中華鍋のあおりや唐揚げのフライヤー、なぜかスローモーション(笑)

広島地区で手作り弁当といえば「ポプラ」

 

お客さんは「作業員」が多い。

除染作業者、除染土を運ぶ・堤防工事等の土砂運搬のダンプ運転手

国道6号が目の前を通るので、トレーラーの運転手も来てた。

「現場の男」カッコイイ。

なので、煽らないでください。

茶色いハイカロリー弁当は美味しいよね。体が資本の男たち。

 

溢れ出る体力と、優れた運転技能があれば、出稼ぎでもいいんだけどね。

トラックユーチューバーを見ていると凄いなと関心・敬服する。

今そっち方面に行くと邪魔になるだけ。

 

意外と、というと失礼だが、住民も多かった。

私が行った2017年は、日曜日で役所も閉庁していたので

本当に誰ともすれ違わず、3年の経過は逆の意味で実感した。

 

復興公営住宅で暮らす高齢夫婦のおばあちゃんは自らハンドルを握る。

周囲に知り合いのいない生活は参るんだね。無事故でー。

 

大工のご主人は手抜きを工事をしないけど

私は手抜き料理が好きwと言ってのけたおばあちゃん。

建てた家も解体され曲がり角が分からなくなったと言ってた。

実家近辺でも更地になって「以前は何があったかな」と思うことある。

 

家族をなくして千葉県の娘宅に移住したが浪江に戻ったおばあちゃん。

隣近所は誰も居なくなっても、自分の生きた歴史を重ねた(酪農業)ふるさとを

「運命」「金で幸せは買えない」と達観してた。

記者は「成田はそこまで都会じゃない」と言ってたが東京人の視点だな。

首都圏、少なくとも圏央道国道16号より内側は都会だと思うよ。 

https://www.youtube.com/watch?v=O3nAMrdVjR4

【過酷!】国道16号を一周したら何時間かかる?!

2021/03/05「ギリック」さん 

私は当時は学生で若かったので都会(関西だけど)の水に馴染んだ。

いきなり東京・首都圏では、密度感に傷んだかもしれない。

 

いわきに避難していたが、娘さんの進学を機に浪江にもどった家族。

今、小中学校あわせて30人らしい。ここかな? 

なみえ創成小学校・中学校 - オフィシャルサイト- 学校案内

以前は中学校があった所を合築としたはず。

【富岡町・浪江町へ】(30)浪江東中学校(休校中)周辺その1。 - ★不惑で上京

弁当屋は働く母も助ける。都会も田舎も変わらない。便利。

味が濃いと言ってたが、実家は薄味なので濃いもの食べたい私、 

都会から移動して子供が少なくなったことで娘にどう影響するのか分からないが

そうやって思い悩むことが人間として大きくなるのだろうなこなみかん。

 

役場といえば、役場の職員もお客さんだった。

近所のお店を不定期で巡ってお金を落とすのも大事な仕事だね。

関西に居た頃は、役所の職員食堂=一般開放に行くのは、楽しみだった。

午後イチの打ち合わせではギリギリまで作業してて電車に乗って

会議が終わって、遅めのランチ。

どっかの総務大臣のように誤解されないよう、職員と相席しないように注意した。

 

気遣いあるダンプの運転手が「現場」に記者を連れて行った。

南相馬市出身なんだ。故郷のために日夜、走っている。頭が下がる。

護岸工事で往復しているそうな。

道中、記者も分かってて「何も無い」と言い

運ちゃんも分かってて「津波で流された」と返す。ように見えた。

ダンプの車内で先ほどのお弁当を食事。せめて現場事務所・休憩所を置いて欲しい。

職場というか業界の労働環境の改善って、そういう地に足の着いたとこなんだよ。

コロナで相席も難しい状況だけど。

記者は車外から撮影していた。帰り道もお弁当屋まで乗せてもらったのだろうな。


富岡町からは車で15分らしい。確かに派手w

買い回る所が少ないので味の変化を楽しむのだとか。分かるわー。

しまむら」が以前はあったそうな。

3年前の富岡はお店もほとんど無かったが、今でも衣類品・おしゃれは厳しいらしい。

震災から10年経過して人間関係・家族関係も断ち切られつつも

復興住宅に行って、社会との関係をつなぎとめようとするの頭が下がる。

 

固定カメラの夜明けが印象的。明日は来るんだよね。

除染作業の「入場」は朝7時からなので夜明けから国道は渋滞。

忙しくて取材に付き合わない人もいる(ところを放送していいのかな)。

実際の所、取材に応じた人は首位打者ぐらいの確率かもね。

あと、記者のNHKの腕章が、見えない背中側に有って無意味だなと思った。

 

浪江駅の近くで、私を不動産屋と誤認して声をかけて来たおじいさん、元気かな?

(話しぶりから、安く買い叩く業者が出入りしていたらしい)

 

 

一人暮らしを四半世紀したが、お弁当は買わない人だったので

(料理は気分転換になった)

(料理したくない気分だと食べずに寝る)

弁当屋に豚汁・汁物があるの知らなかった。

 

 

なんだかんだ仕事がある・しているのがいい。

選ばなければ幾らでも仕事はある。

その土地で暮らしたい・誰かのために働きたいという気概があればね。

 

私は、ここで働きたいと思わないし、1秒でも早く実家を出たいので

今一生懸命に探している。

 

なかなか縁がない。円も無い。